【勘繰男のバンコクラーメン屋台奮闘記】第二話 ゼロ客の夜
投稿日 2025.09.22
納得いく1杯を求める日々
俺はオープン日を決めなかった。
知人から「いつ開けるんですか?」と何度も聞かれたが、そのたびに「未定です」と答えるしかなかった。
納得のいく一杯が仕上がってから──その日にちなんて、わかるはずもない。
ただ一つ言えるのは、日を追うごとに俺のラーメンは確実にうまくなっていった、という事実だ。
そりゃそうだ。毎日、ラーメンをうまくするための作業しかしていなかったのだから。
試作を食べると、自然に「もう一杯」と手が伸びる。
気づけば二杯連続で食べてしまう。進化の証拠だった。
ラーメン屋は、100m走のランナーよりもスタートが大事だ。
陸上なら出遅れても、力があれば後半で巻き返せる。
だがラーメン屋は違う。最初に出した一杯が、そのまま「店の味」になる。
そこでつまずけば「まずい店」と烙印を押され、Googleレビューに残る。
星1が並べば二度と客は戻らない。冷やかしのYouTuberが隠しカメラを持って俺をイジりにくる未来だって見える。
なぜそこまでスタートにこだわるのか。
承認欲求が強いからだ。
嫁に捨てられ、「必要とされない」痛みを知った。
それ以来、誰かに認められることでしか自分を保てなくなった。
Twitterでいいねを稼いでいたのも、その裏返しだ。
だが先日、ふと覗いてみて思った。
そこにあったのは、マウントの取り合いと政治の切り抜きばかり。
「俺の方が凄い」「俺の方が知っている」「俺の方が持っている」。
根拠のない言葉が流れ続けるタイムラインを一分で閉じた。
何の学びもない。やめて正解だった、と静かに思えた。
だからこそ、ラーメンに賭けた。
俺はADHD気質だ。やると決めたら、回りがドン引きするくらいそれしかやらない。
「うまい」と言わせたい──その一言のために、豚骨を炊き続けた。
ラーメンは麺とスープが噛み合って初めて成立する。夫婦みたいなものだ。
そこに華を添えるのがチャーシュー。
俺が目指すのは、箸で割れるほど柔らかく、それでいて崩れず切れる一枚。
毎朝Makroに通い、納得した肩ロースだけを仕入れる。
山岡家にいた頃は、届いた肉はどんな部位でも仕込んで客に出した。
もし俺が「これは脂身だらけで使えない」と言って廃棄にしていたら、一発でクビだったろう。
チェーンは原価管理と効率がすべて。その強さは学んだ。
だから今は、逆を行く。一枚のチャーシューが、俺そのものになるからだ。
客に出すすべてのスープを試飲する。
一口すすっては次、また一口すすっては次──一晩で何十杯も口にする。
舌が痺れ、喉に脂がまとわりつこうが関係ない。気づけばスープだけで腹がいっぱいだ。
効率じゃない。狂気だ。
そして迎えたOpenの日、結果は…
いちばん怖いのは「味濃いめ」の注文。
ほんのわずかでも塩分が勝てば、濃厚な豚骨ブリックス5のスープですら無力になる。
ただしょっぱいだけの失敗作になる。だからレンゲを持つ手が震える。
そうやって格闘していたら、気づけば大量のチャーシューができていた。スープも100点。
オープンもしていないのに。さすがに捨てられない。しかも驚くほど出来がよかった。
「これは出せる」──翌日、俺は急遽オープンを決めた。今思えばアホだ。
告知も宣伝もなし。でも来た客には100点を出せる準備はできていた。
来なければ来ないでいい。そう思っていた。
結果は惨敗。
18時から24時までの6時間、客はゼロ。
周りの屋台は30~60バーツで腹いっぱいになれる。
俺は一杯200バーツ。数字だけ見ても勝負にならない。
最初の一回さえ食べてもらえない。
ここはガソリンスタンド併設。
一日に千人が給油に訪れるが、市場を通るのは二、三百人。しかも全員タイ人だ。
通りがかりの日本人客なんて、最初から見込めない。
現場は基本、俺ひとりで立っている。
だが、完全な独りではない。
タイ人のパートナーがいる。
仕入れや買い出し、片付けはもちろん、時には警察や役所の対応まで任せられる心強い存在だ。
俺がエリートビザから就労可能なビザに切り替えるときも、その手続きを助けてもらった。
その支えがあるから、俺は寸胴に張り付いてラーメンと正面から向き合える。
自分でも分かっていた。
それでも俺は、大量のチャーシューに背中を押されて走り出してしまったのだ。
白濁した湯気だけが虚しく立ち上る6時間。
周りの視線は冷たく、時間は永遠に感じられた。
あれが、俺の「ゼロ客の夜」だった。
ラーメン『あの豚との約束』の場所
【アクセス】
MRTイエローライン シーラサール駅(YL18 Si La Salle)より徒歩約10分(700m)

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自己紹介
名前:勘繰男(かんぐりお)
生年月日:1979年8月9日生まれ
年齢:46歳
職業:海外移住系インフルエンサー、ラッパー、フリーライター
実話ナックルズのウェブ版に「勘繰った話」を連載中
合法的に〇〇を吸いたいと言う理由で、2023年12月にタイのバンコクに移住。現在はシラチャに移住して「ここが1番いい」と豪語している。シラチャを愛してやまない。
シラチャのことを歌った曲
「ブラリシラチャ」は10日で1万再生を超えた。
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