【勘繰男のバンコクラーメン屋台奮闘記】第四話 火の外側で起きたこと

突然の事件

深夜十二時半。
店を閉めて三十分が過ぎていた。

俺は屋台の中で一服していた。
換気扇の低い音と、寸胴に残った豚骨の匂いだけがそこにあった。
火はすでに落としていた。

外から犬の鳴き声が聞こえた。
キャンキャンキャンキャン!
喧嘩のようにも、じゃれ合いのようにも聞こえる甲高い声だった。

最初は気にしなかった。
この辺りの野良犬は、夜になるとよく騒ぐ。

だが、耳に違和感が残った。
その鳴き声の隙間に、猫のギャーギャーという声が混じっていた

胸の奥が一瞬だけ冷えた。
おかしいと思った。

俺は屋台を飛び出し、声のする方へ走った。
五十メートルほど先の暗い路地だった。

「やめろ!」

大声で叫んだ。

ドーベルマンのような野良犬が一匹、口にシラちゃんを咥えていた
その周りに、さらに三匹。合計四匹。

俺の声に反応して、犬はシラちゃんを口から離した。
四匹とも同じ方向へ一斉に逃げた。

その瞬間、シラちゃんも同じ方向へふらつくように走った。
足取りは定まっていなかった。
いま考えると、もう息絶える寸前だったのだと思う。

俺はそのまま追いかけた。
暗がりの先で、横たわるシラちゃんを見つけた。

ぐったりしていた。完全に動かない。
胸は上下していなかった。呼吸はなかった。

「大丈夫か」と声をかけた。

シラちゃんは一度だけ、まばたきをした。
それきり、動かなくなった。

そこにはもう、何もなかった

どうしたらいいかわからなかった。

俺は一度、屋台に戻った。
煙草の匂いがまだ残る場所へ。

スマホを取り出し、ChatGPTに相談した。
この場合、俺はどうしたらいいんだと聞いた。

直後だった。頭は混乱していて、まともな判断ができる気がしなかった。

返ってきた答えはこうだった。
夜中で危険だから、外に出ないほうがいい。あなたもやられる可能性がある。

理屈としては正しかった。
それでも、どうしてももう一度シラちゃんを見たかった。

五分から十分ほどして、俺は歩いて現場へ戻った。

そこにはもう、何もなかった

血も、毛も、争った痕跡も残っていなかった。
残っているはずがない。俺が離れた時点で、シラちゃんはもう息をしていなかった。

おそらく、犬の習性で、どこか別の場所に運ばれたのだと思う。
シラちゃんの体は、そこにはなかった。

俺はしばらく立っていた。
街灯の下で、ただ暗い路地を見ていた。

その夜、屋台に戻っても眠れなかった。
目を閉じるたびに、犬の鳴き声と、あの一度のまばたきが蘇った。

それでも俺は店を開け続けた

翌朝、俺は店を開けた。

だが、その次の日から、俺は少しおかしかった。
メンタルがやられていたと思う。

自分でもわかるくらい、性格が悪くなっていた。
小さなことで苛立ち、余計なことを言い、必要以上に刺々しくなった。

たとえば、普段なら客にタメ口で話しかけられても何とも思わないのに、
その頃の俺は、同じようにタメ口で返してしまった。

会計のとき、思わず口をついて出たのは、

「どうもありがとね」

だった。
本来ならありがとうございましたと言う場面で、あえて丁寧さを外した言葉。

細かいことかもしれない。
だが、その細かさでしか、俺は自分のストレスを発散できなかった気がする。

それは一日や二日の話ではなかった。
だいたい一週間くらい、そんな状態が続いた。

理由を誰かに説明できるほど整理はできていなかった。
ただ、頭のどこかに、ずっとあの路地の暗がりが張り付いていた。

年末年始も、俺は休まず営業した。

本当は、少しだけ休もうかと思っていた。
シラちゃんが死んだのは十二月二十日。
そのまま年末年始に突っ込んでいく自分を、どこかで疑ってもいた。

それでも俺は店を開け続けた。

休むという選択が、どうしてもできなかった。
仕事をして紛らわせないと、俺のほうが壊れそうだったからだ。

寸胴の火をつけているあいだは、余計なことを考えなくて済んだ。
麺を茹でている間は、犬の鳴き声が頭の中に入り込んでこなかった。

客が並んでいる時間だけが、まともだった。
それ以外の時間は、まだ路地の暗がりの中にいた。

それでも、シラちゃんを忘れることはできなかった。

忘れようと思っても、できなかった

シラちゃんの母猫が、いまも屋台の裏にいる。
体の模様は、シラちゃんとほとんど同じだ。

視界の端にその猫が入るたび、嫌でも思い出してしまう。
路地の暗がりも、犬の鳴き声も、あの一度のまばたきも。

毎日、同じ場所で仕込みをして、同じ場所で火を落とす。
そのたびに、記憶は勝手に呼び戻される。

売り上げのほうは、順調だ。

オープンしてから、ずっと毎週のように最高売り上げを更新している。
数字だけを見れば、文句はない。

正直、きつくなってきている部分もある。
体力的にも、精神的にも。

それでも俺は、アルバイトも従業員も雇わない。
少なくとも、今はそのつもりはない。

理由はある。
だが、それはまだここで書く話じゃない。

閉店後、俺は寸胴の横に目をやった。
そこに座っていたはずのシラちゃんは、もういない。

火を落とす。
湯気が消える。

代わりに、呼び込み君の音だけが残る。

今夜も火を消して、声だけが灯っている。

その音に救われた日もあれば、ただうるさいだけの日もあった。
それでも俺は、明日も火をつけるしかなかった。

ラーメン『あの豚との約束』の場所

【アクセス】
MRTイエローライン シーラサール駅(YL18 Si La Salle)より徒歩約10分(700m)

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自己紹介

名前:勘繰男(かんぐりお)

生年月日:1979年8月9日生まれ
年齢:46歳
職業:海外移住系インフルエンサー、ラッパー、フリーライター
実話ナックルズのウェブ版に「勘繰った話」を連載中
合法的に〇〇を吸いたいと言う理由で、2023年12月にタイのバンコクに移住。現在はシラチャに移住して「ここが1番いい」と豪語している。シラチャを愛してやまない。

シラチャのことを歌った曲
「ブラリシラチャ」は10日で1万再生を超えた。

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