【勘繰男のバンコクラーメン屋台奮闘記】第三話 火を消して、声を灯す

ゼロ客の夜のあと

ゼロ客の翌朝、俺は店を閉めた。
寸胴の火を落とし、スープを排水に流した。

チャーシューは細かく刻んで、シラちゃんに与えた。
シラちゃんは屋台の裏に住む野良猫だ。
毎晩のように顔を出して、寸胴の匂いを嗅いでは去っていく。

その日は違った。
シラちゃんは、並べられたチャーシューを見て二度見した。
まるで「売れなかったの?」と聞いてくるような目だった。
俺は笑って、「今日は特別だよ」とだけ言った。
シラちゃんは黙って食べまくった。
脂の香りが朝の空気に混じって、
なぜか少しだけ、救われた気がした。
味は間違ってない
そう言ってくれてるようで、少し勇気が出た。

シラちゃん

だが、味が正しくても、店は続かない。
ラーメン屋はうまいかどうかだけだと思っていたが、うまいだけでは生き残れない事を痛感した。
問題は「知られていない」ことだ
初日ゼロなら、二日目もゼロの可能性が高い。

ラーメンは仕込みで成り立つ。
オーダーが入ってからチャーシューを生の状態から焼くことはできない。
客が来なければ、スープも肉も腐る。
つまり、金が腐る。
そして、最後には俺が腐る。

続けることが正義ではない。
だが、続けることで続けられなくなるという、どうしようもないジレンマもあった。
俺は腐りたくない一心で、
YouTubeでネリーの《ジレンマ》をかけた。
だけどすぐに消した。
俺のジレンマは恋愛じゃない。
ラーメンだ

焦りから、正常な思考ができていないことを認識した瞬間だった。

冷蔵庫の中には、まだ使える肉が残っていた。
俺はストック型の冷凍庫を買うことにした。
腐らせるくらいなら、凍らせてでも守る。
それが、あの夜に出した答えだった。

「伝える」という作業

Makroに行く気は起きなかった。
けれど俺は寸胴を見つめながら、こう思った。
「味は間違ってない。ただ、存在を知られていないだけだ。」

その瞬間、俺はコンロの代わりにパソコンを開いた。
目の前のコンビニにあるコピー屋へ行き、スマホで撮ったラーメンの写真を渡した。
「これでPOPを作りたい」
そう言うと、店員が笑顔でうなずいた。
一枚50バーツ。
サイズはA4。
ぼったくり価格だったが、俺はスピード感を優先して即答でお願いした。
画面に映る自分のラーメンが、まるで別の食べ物に見えた。
白い湯気が立つ丼が、商品に変わった瞬間だった。

タイ語の翻訳を何度も確認しながら、俺は初めて「伝える」という作業をした。
これまでは味で勝負すれば客は来ると思っていた。だが、この国ではまず目で勝つ必要がある

BGMも変えた。
日本の曲を消し、翻訳ソフトで作ったタイ語の音声を流した。
僕は日本で10年間修行してきたラーメン職人です
欲しい商品があったらメニューを指さしてください
スープがとにかく濃いですよ
そんなフレーズを、ドン・〇ホーテの呼び込み君の音楽に重ねた。
YouTubeから拾ったメロディに、自分の声を吹き込んだ。

ド〇キの音が、タイ語で俺の店を呼んでいた。
通りを歩く人が、音につられて足を止める。
子どもが笑い、親が興味本位で覗き込む。
たったそれだけのことで、屋台の空気がガラッと変わった

その一週間、俺はラーメンを作るのではなく、
客を呼ぶラーメン屋を作ることに全力を注いだ。
ポップの位置を変え、音量を調整し、タイ人の友人に言葉の自然さを確かめた。
夜には通りの風向きを見て、
BGMの届き方を確認した。
ラーメン屋というより、まるで自分自身を調整している実験体だった。

『あの豚との約束』が動き出した瞬間

そして再オープンの日。
客は五人。売上は一五〇〇バーツ
家賃は五千。
単純計算でも、四日営業すれば黒字になる。
たったそれだけのことが、
あのときの俺には救いだった。
初めて「この店が生きた」と言える一日だった。
インスタグラムのアカウントを作ったのもこの頃だ。

そこから日本人の客が一人
ずっと気になってた」と言って来てくれた。
その一言で、寸胴の中のスープが報われた気がした。
二日目は六人。
三日目は七人。
四日目は八人。
数字は曖昧だが、確かに日を追うごとに増えていった。
初めて食べた客が、翌週には友達を連れて戻ってきた。
家族を連れて来てくれる人もいた。
その瞬間、俺のラーメンはひとりの食べ物じゃなくなった。
誰かと共有される記憶になった。
スープの中に、人のつながりが溶けていく。

ゼロ客の夜を思い出す。
あの白い湯気の向こうには、
ちゃんと未来があったんだ。

夜の閉店作業をしていると、
またシラちゃんが現れた。
寸胴の横に座り、静かに俺を見上げる。
まるで「今日も売れたね」とでも言うように。
俺は残ったチャーシューを一切れ、
そっと地面に置いた。シラちゃんはそれをくわえて、どこかへ消えていった。

湯気の代わりに、呼び込み君の音だけが残った。
今夜も、火を消して、声を灯す。

ラーメン『あの豚との約束』の場所

【アクセス】
MRTイエローライン シーラサール駅(YL18 Si La Salle)より徒歩約10分(700m)

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Instagram『anobutatonoyakusoku』

自己紹介

名前:勘繰男(かんぐりお)

生年月日:1979年8月9日生まれ
年齢:46歳
職業:海外移住系インフルエンサー、ラッパー、フリーライター
実話ナックルズのウェブ版に「勘繰った話」を連載中
合法的に〇〇を吸いたいと言う理由で、2023年12月にタイのバンコクに移住。現在はシラチャに移住して「ここが1番いい」と豪語している。シラチャを愛してやまない。

シラチャのことを歌った曲
「ブラリシラチャ」は10日で1万再生を超えた。

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