第6回「搾取と夜の女の苦悩を垣間見た エーンという女 (後編)」

投稿日 2018.01.03

高田胤臣-タイの考察

いつの間にか超売れっ子になっていたエーンだが

2002年9月、もう日本には帰らないつもりでオレはビーマンバングラディシュ航空に乗り、ドンムアンに戻ってきた。
空港にはエーンが迎えに来てくれていた。
そして、エーンが借りていてくれた新しい部屋に行く。
ナラティワート通りのマクロの近く。
その年にできたばかりのコンドミニアムだった。

7ヶ月ぶりのタイ。
7ヶ月ぶりのエーンとの再会。
しかし、エーンは部屋に戻るなり、客のところに行くと言った。
このころにはエーンはすでに超売れっ子になっていた。
オレが岡山にいる間に場末っぽかった店を出て、超人気店に移っていた。
月収で10万バーツは超えていたのではないか。
それくらい売れていた。

太い客も何人かついていて、その人物が来ると基本的にはずっとその人と一緒にホテルで過ごす。
中にはタイ在住者もいた。
だから、ナラティワートの部屋に同棲し始めたはいいが、ここを出て行くまで2ヶ月くらいの間、エーンと一緒に寝たことはほとんどなかった。

エーンはオレの前ではクスリに手を出すことはなかったし、おそらく日本帰国前にオレが怒ったことがあってから手は出していないはずだ。
その代わり、アルコールの量がかなり増えていた。
この時点でエーンはまだ18歳になるかならないかの年齢だ。
アル中とはまではいかないが、言動がむちゃくちゃなときもあった。

売れっ子になればなるほど、エーンは日本人男性というか、男性不信になっていった。
妻がいながら堂々と女遊びをする姿を未成年の彼女が見てしまう。
ショックを受ける一方ではそういった男性がエーンを助けてくれている。

エーンは段々と壊れていき、酒とセックスにおぼれるようになる。

生まれた環境がよくなかったのか?

高田胤臣-タイの考察

エーンの実家周辺は産業も観光もなにもないような場所だった。

ある日、エーンに誘われて1泊だけ彼女の実家に遊びに行った。
そこでオレはいくつか衝撃的な現実を目の当たりにした。

まず、エーンの母親はエーンの幼い弟を育てるために苦労していると聞いていた。
母も年老いて大変だから、エーンが稼いでいるという話だったはずだ。
でも考えてみれば、エーンが18歳、弟が小学校低学年とすれば、母親が年老いているというのはおかしい。
事実、本人を目の前にしたら、せいぜい40代前半だった。
どう見たって、働く術はあるはずだ。
仮に働けないとしても、エーンには兄もいて、兄妹ふたりで家族を支えれば、エーンはそこまでして稼ぐ必要もない。

しかし、母親本人に働く意志がない。
エーンに完全に甘えていて、エーンに優しくはしているものの、完全にたかりの状態だ。
タイの場合、こういうことは大なり小なりどの家庭にもあるので、肉親がそんなことをするのは百歩譲ってありえるとしよう。
問題は周囲の人たちにもある。

エーンの兄、エーンの母親の友人が訊ねてきたり、エーンが幼なじみの家に行くと、そこの大人たちまでもがエーンに金銭を要求する。
エーンもまだ子どもだから、頼られることが嬉しくて言われるがまま出してしまう。
それが以前から続いていたのだと思う。
その額もエスカレートしていたのではないか。
少なくともそのときは母親ならともかく、ほかの大人にも3,000バーツは渡していた。

高田胤臣-タイの考察

母親に対して金を渡すのではなく、出資して屋台を出させるなどすればまた違ったのにと、今になって思う。

エーンの親も周囲の人も、エーンは飲食店で働いていると思っているフリをする。
エーンもさすがに身体を売っているとは言えないので、そういうことにしていて、周囲はそれを信じているのだ。
誰にだって飲食店でぽんぽんと出せるほど稼げないことはわかる。
彼らはエーンがなにをして働いているのか知っている。
自分の欲求を満たすために我が娘、親類の娘がどうしているか知っていて、あえて目をつむる。

信頼できるはずの家族がこれではエーンが壊れるのは当たり前だ。
だが、そんな彼女を救う術もオレにはなかった。

高田胤臣-タイの考察

田舎で子育てをする場合、バンコクほど金はかからない。エーンは稼ぎすぎていた。

アルコールとセックス依存症のようになってしまった

2ヶ月も同棲生活は続かなかった。
エーンはほとんど客と一緒に過ごし、誰が恋人だかわからない状態だった。
ケンカも絶えず、ある日、またオレは泥酔してエーンの部屋で暴れ、家具をぶっ壊し、今度こそ我々の関係は終わった。

その後しばらくエーンとはなんの関係もない日々を過ごしていた。
ときどきタニヤのスナック「スター21」でかち合うこともあったが、特に話すこともなかった。

そして、2004年1月、オレとエーンが知り合うきっかけとなったワンさんが念願のスナックを開業し、オープン当初は買い出しや掃除を手伝った。
ワンさんは新しい日本人夫ができ、エーンは姉さんと慕うワンさんと同じコンドミニアムに引っ越していた。
そんなこともあって、開店作業などで何度か顔を合わせた。

スナックができてからもオレはよく通っていたが、十割の確率でエーンがいた。
もうその時点では店には出ず、何人かの太いパトロンを回して何十万円と稼いでいたようだ。
金は余るほどあり、店に来るたびに高いブランデーをボトルで入れ、その日のうちにほとんど飲み干す。
タニヤから自宅まで徒歩10分もかからない場所だが、常にタクシー。
それから、セックス依存症のように日本人中年男性を引っかけては身体の関係を持っていた。
そのスナックではさすがにワンさんがいるときはしなかったらしいが、エーンはカウンターで声をかけ、店のトイレで行為をしていたこともあるという。

高田胤臣-タイの考察-タニヤ通り

どの店もさすがに店内での本番行為は許さない。

一度エーンが深夜にひとりタニヤの通りで泥酔しているところに出くわしてしまい、自宅に送っていったことがある。
さすがに捨てていくほどオレは突き放せなかった。そして、エーンは部屋に着くとベッドにオレを誘ってきた。

据え膳食わぬは男の恥。

だが、心の病気のようなエーンとしてしまったら、あとが怖い。
どうしたものか。
するとエーンは裸になり、股を広げた。

「見て、ほらクリトリス」

エーンがぐっとクリトリスを広げてみせる。
すると、にょきっとカタツムリのような触覚が現れた。
それ以降、今に至るまでもそんな状態を見たことがない。
クリトリスってそんなことになるの? 気持ち悪っ!
と思い、そのまま部屋を出た。

果たして自業自得なのか、生まれた環境が悪かったのか

その数ヶ月後にワンさんは日本人夫と正式に結婚した。
その結婚式でエーンに会ってしまった。
だが、ひと言も会話はしなかった。
エーンは新しい彼氏を連れてきていた。
日本人の駐在員だった。
エーンの母親もいた。
ワンさんの当時のタニヤ仲間も何人かいたので、やはりエーンの母親はエーンがどのように稼いできたか知っているのだと確信した。

だが、その後、案の定エーンとその日本人は破局する。
日本に妻がいて、同時に帰任命令が出たので別れたようだ。
スナックの人に聞くとエーンは荒れ狂って、ますます酒の量が増えたのだとか。
さらに覚醒剤にもまた手を出していたようだ。
これが2005年のころの話だ。

ワンさんの夫はエーンを娘だと言ってかわいがるが、所詮他人。
エーンが酒におぼれ、セックスに依存し、覚醒剤を再び常用するようになってもエーンはうぶな女の子だと思い込んでいる。
そして、おそらくエーンがあることないこと言ったのだろう。
エーンの周囲がオレをよく思っていない様子がわかってきたので、そのあとはタニヤにもあまり行かなくなったため、エーンのその後は噂でしか知らない。

数年後、酒の飲みすぎで肝臓をやられ、エーンが大手術をしたということを聞いた。
彼女は小さいころのやけどの痕が腿の内側にあり、短いスカートを穿かないし、客とは電気をつけてセックスをしないほどのコンプレックスを持っていた。
そこにさらに大きな手術痕。
当時まだ20代前半だ。
しかし、運よくエーンは結婚できたそうだ。
それでどういうわけか、今は東京で暮らしているという。
もう33歳前後になるだろう。
落ち着いて暮らしているだろうか。

もし彼女がもっと違うところで生まれていたら。
オレみたいなのにも引っかからなかったし、厳しい人生にならなかったはずだ。
タイの水商売で働く若い女の子はこういった大人たちに振り回されていることが多々ある。
タイ語ができるようになり、かつ、夜の女とつき合うとこういった事情を目の当たりにする。
そうすると、素直に夜の店が楽しめなくなる。
オレはオレで失ったものもあるのだ。

【プロフィール】
高田胤臣(たかだたねおみ)
1977年東京都出身のタイ在住ライター。
1998年初訪タイから2006年に結婚するまでにゴーゴー嬢、タニヤ嬢、マッサージ嬢など夜の女の子と一通りつきあい、タイの低所得者層から中流層の生活を垣間見てきた。
著書に「バンコク 裏の歩き方」や「東南アジア 裏の歩き方」など彩図社の裏の歩き方シリーズ関連、Amazon Kindleの電子書籍など。

バンコク 裏の歩き方 [2017-18年度版]

バンコク 裏の歩き方 [2017-18年度版]

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