第19回「人生最大のピンチが来た!? ヌットという女 (後編)」

投稿日 2018.10.27

タイの考察

日本に7ヶ月ほど滞在していた間に出産をしていたヌット。
しかし、オレにはそのことをなにも言わないし、下手に動くよりは黙っていた方がいいのか。
いずれにしても、人生最大のピンチが到来していたことは間違いない。
完全移住を目論んでがんばってやってきたのに、再びタイの地を踏んだら一歩目に落とし穴とは。

いずれにしても本人は田舎にいるため、連絡は取れない。
ある意味ラッキーだったのは、今と違ってスマートフォンやSNSなんて便利なものがなかった。
そうして、2ヶ月3ヶ月くらいが過ぎた。
そんなある日。
突然にオレはヌットと再会した。

本当は出産していないのではないかという疑いも

劇的な再会というのはなにもなくて、ある日、普通に「キャメロット」に行ったら普通にヌットが踊っていただけだった。

日本に出稼ぎとして出発した時点で番号を捨てたこともあり、ヌットが知っていたオレの携帯電話はすでになかった。
また、2002年の9月に戻ってきて携帯を買い、そのあとエーンに追い出されて再び買い直したり、たった3ヶ月程度の間に数回番号が変わっていた。
当時はパソコンも持っていなかったので、ネットカフェに行ってメールをするが、日本語が打てないところもあり、そうそうメールチェックをするようなものでもなかった。
ヌットの田舎にはネットカフェすらない。
だから、ゴーゴーでいきなり踊っているのを見るまで一切連絡が取れない状態だった。

ゴーゴーバー

数年前にキャメロットもゴーゴーではなくビアバーになってしまった。

再会時の会話はまったく憶えていないが、そのまま普通に友だちみたいな感じでいたと思う。
ヌットはオレに対して子どもの話はまったくしなかった。
いつ生まれたとか、核心である「そもそも誰の子なのか」さえもだ。

オレはここは黙っていた方が得だと思い、なにも訊かなかったし、言わなかった。

ヌットもオレに子どものことを言わなかったのは、たぶん、ヌットでさえ誰が父親なのかがわからなかったのではないか。
オレのカオサンの知り合いとも多数やっていたし、いわばそれは氷山の一角で、どこでなにをしているのかわからない。
彼女自身も最早どのタイミングで妊娠したのかわからなかったのではないか。

気になるのはノングたちが言っていた、オレにそっくりという言葉だが。
そこはあえて無視するしかあるまい。

シンハービール

当時ゴーゴーで飲むビールはシンハが当たり前で、そういう意味ではこの銘柄にはたくさんの思い出がある。

ある日、ヌットは全部出すからホテルに行こうと言い出した。
女の子からそんなに性欲を丸出しにするような発言を聞いたことがなかったので、ついに誰の父親か話してくれるのか? と思った。

よくよく考えてみると、ヌットが出産した証拠すらどこにもない。
ヌットには問題があると言われただけだし、ノングたちがオレに子どもが、と言っただけにすぎない。
もしかしたら、ノングらにオレが担がれているだけかもしれない。

ならば、出産したかどうか、身体を見ればわかるかもしれないと思い、オレはのこのことヌットの誘いに乗ってホテルに行った。

悪霊に取り憑かれたかのように豹変していくヌット

パッポンのナイトマーケット

最近のパッポンの夜市は人が少ないが、当時はたくさんの人がいたし、商人たちもロクなのがいなかった。

ところが、もう一度よく考えてみれば、経産婦かどうかをどうやって見分けるのか、オレは知らなかった。
実際、若いからか、ステージで踊るヌットの腹はたるみなんかはなくて、普段と変わりなく見える。
やっぱり子どもを産んだこと自体がウソだったのか?

そして、誘いに乗ってヌットとベッドに入ったわけだが、ときどき目になにかが刺さるような痛みを感じた。
なんだかわからないが、なにか液体のようなものが目に刺さるのだ。
まさかオレに対する復讐で、薬品をかけるアシッドアタック的なことをしているのではないか。

当時は夜の女の子と言えどもタイ人女性は電気をつけてやるということはあまりなく、基本は限りなく暗闇にすることを好んだ。
ヌットもそうで、電気を消していた。
田舎から戻ってきたばかりのヌットは真っ黒に日焼けし、ぼんやりと白く光るベッドのシーツに、亡霊のように黒い物体となって横たわっていて、ちょっと不気味でさえあった。

電気をつけ、目に当たるのがなにかを探してみた。

あちこちを触って最終的にわかったのが、ヌットの胸だった。
強く揉むと、乳首の先から液体が飛び出すのだ。

やっぱ子ども産んでるじゃねえか・・・・・・。

母乳が目に刺さるってあるんだな。
というか、母乳ってあんなに勢いよく出るのか。いろいろな意味で衝撃だったが、まあ正直、背筋が凍ったのは間違いない。

ヌットはオレにこれを見せようとしたのだろうか。
しかし、それでもヌットはオレには子どもの話はしなかった。

パッポンの屋台

ピンクパンサーの隣の24時間屋台でよくヌットと食事をした。

これ以降、店では会うが、なぜかヌットが凶暴化し、店内で突然ビンタしてきたり、ブーツのかかとで蹴りを入れてきたり、ひどい豹変ぶりだった。
当時、キングスグループは黒の長い革のブーツを履いてたのだが、硬いし、重いので、蹴られたらかなり痛い。

そんなことが続き、ヌットとは会わなくなった。
その後、いつの間にか店からもいなくなっていた。

悪夢は結婚してからも続いた・・・・・・

虫の屋台

パッポンのそばにいた虫の屋台。最近はこういうのもだいぶ減った気がする。

それから何年も経ち、2011年、あるいは2012年だったかもしれない。

Facebookでヌットから友だち申請が来た。
まだスマホを持ってそんなに経ってない時期だったし、あのころは誰にでも気軽に友だち申請して、それを承認するのが普通だった。
オレは、久しぶりだなと思い、承認してしまう。

その後、妻のFacebookを横で見ていたら、見覚えのある顔が。
ヌットが友だち申請をここでもしていて、妻もそれを承認していたのだ。
このときにオレはSNSの使い方を学んだと思う。

考えてみれば「ヌットの第一子=オレの息子説」はまったく終わっていない。
すでにオレの上の子は5歳6歳で、下の子も生まれたばかり。
ヌットの疑惑はオレには地雷でしかない。
オレはヌットの投稿写真をすべて見た。

最初に見たときは手が震えた。
似ている。
言われてみれば、オレに似ている。
ヤバいことになってきた。

しかしよく考えてみれば、その子どもの見た目は3歳か4歳くらい。
2012年とすれば、疑惑の息子は10歳くらいのはずだ。
あれっと思い、よくよく見ていくと、どうもその時点でヌットには2人か3人の子どもがいた。
そのうちの真ん中か下の子をオレは見ていたようだ。

疑惑の子、その10歳らしき子は、どう見てもオレに似ていなかった。
ヌットにも似ていない。
おそらく、父親似なのだろう。
たぶん、大丈夫だ。

オレは急いでヌットをブロックをし、ついでに妻のスマホも隙を見てロックを解除し、ヌットをブロックした。
直前にヌットの友だちリストを確認すると、ヌットは妻の親戚にも申請をして承認されている。
完全に繋がりを絶てないが、ここだけは守っておこう。

それ以来、ヌットとは繋がっていない。
モテない男が女の子に言い寄られると、こういったロクでもないことが起こる。
オレはこれ以来、女の子が好意を持って近づいてくると、思わず浮き足立つようになったのだった。

銀行

あのころはパッポンの角のこの銀行はマクドナルドだった。

【プロフィール】
高田胤臣(たかだたねおみ)
1977年東京都出身のタイ在住ライター。
1998年初訪タイから2006年に結婚するまでにゴーゴー嬢、タニヤ嬢、マッサージ嬢など夜の女の子と一通りつきあい、タイの低所得者層から中流層の生活を垣間見てきた。
著書に「バンコク 裏の歩き方」や「東南アジア 裏の歩き方」など彩図社の裏の歩き方シリーズ関連、Amazon Kindleの電子書籍など。

タイ在住17年が送るバンコク夜遊びガイド『バンコクアソビ』電子版も販売スタート!

バンコクで遊ぶなら必読! – 『バンコク 裏の歩き方 [2017-18年度版]』

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