第20回「みにくいアヒルの子 インという女」

投稿日 2018.11.15

タイの考察

こういった仕事をしているとよく訊かれるのが、取材した女性と関係を持っているのかということだ。
そんなことはない。
潜入取材的なものだと話が違うが、正式な取材をする場合は実はあまりそういうことはしない。
会って話を聞くだけである。

プライベートにおいてもオレ自身は最後まで関係を持つことは少なかったりする。
そこまでの経過が楽しいのであり、そこまで求めているわけではない。
現状としては結婚しているのでそういったことがないというのもあるが、独身のころも必ずしも最後までいくとは限らない。

とりあえず面倒な印象がある女の子は様子見をする。
今回紹介するインという女の子もいい予感がなかったので、タイミングよくやりたいことを一緒にできそうなタイミングもあって一度デートに行った。
そんな子である。

とりあえず力士だったイン

インは当時ナナの「レインボー1」にいた女の子だ。
向こうから声をかけてきて、何度か話しているうちに映画に行こうということになった。
東北地方の出身だが、コンケーン県出身と言っていたと思う。
興味がなくて憶えていない。

というのは、当時の彼女は19歳くらいのぴちぴちな年齢ではあったものの、猛烈な肥満体だった。
よくもまあ踊る気になったもので、水着を着て踊っていたが、水着もブーツもパンパンだった。
若いので不潔な印象はなく、顔立ちは目が細く、やや力士的な雰囲気があったくらいだ。

コンケーン

コンケーン市街地は意外と都会。

この話は2003年のことで、この年の1月に劇場版のジャパンホラー「呪怨(じゅおん)」が日本国内で封切りになった。
これがめちゃくちゃ怖いということは聞いていたので、観たいとずっと思っていた。
そして、タイの一般映画館で公開されることになった。
日本映画が単館的なものとかではなく、メジャーな映画館で公開されるというのはこのときはまだ異例なことで、タイでも話題になった。
しかもタイ語字幕の日本語音声。
これは観るしかない。
しかし、ひとりで行くのも寂しいので。
そんなときに知り合ったのがインだったのである。

ゴーゴーバーのレインボーグループ

インが働いていたころはまだレインボーグループは2までだったはず。

行ったのは伊勢丹の上にある映画館だった。
伊勢丹の紀伊国屋書店の真上が映画館とボーリング場が併設されていて、あのころのバンコクは「MBK」あるいはこの伊勢丹の上なら確実に最新映画が公開されている場所だった。

そうしてインと最初のデートをしたのだったが……。

セントラルワールド

伊勢丹が入居するセントラル・ワールド前は乾季になるとタイ最大のビアガーデンになる。

インのよさに気がついたのは1年も過ぎてから

「呪怨」は予想以上に怖い内容だった。
インはともかくとして、オレも「怖い」という前情報以外なにも知らない状態だったので、かなり楽しめた。
タイ人もたくさん入っていて、テーブルの下に子どもの幽霊が隠れているシーンでは遊園地の絶叫マシン並みの叫び声が上がったほどだ。

ただ、タイ人は布団に入る習慣がないので、伊東美咲が恐怖のあまりに布団に潜るシーンは逆に笑いが起こっていた。
あのシーンなんかはその後動画サイトで予告編を見ると絶対に使われるくらいの掴みのシーンでもあるのに、文化が違うだけでこうも受け入れられないのかとある意味カルチャーショックでもあった。

ここまで怖いとは思ってもいなかったインはそれでも楽しんでいたし、優しかった。
これはおよそ1年後の感想だ。

というのは、同じ年に日本で劇場版「呪怨2」が日本で公開され(知らない人のために補足しておくと、「呪怨」は元々ビデオ(DVD)でリリースされた映画で、劇場版はリメイクである)、タイでも好評だったためにその第2弾も公開された。

コンケーンのナイトマーケット

コンケーンのナイトマーケットは屋台街が中心で楽しい。

ところが、オレが知ったときにはもう終わりかけ。
調べると、サイアムスクエアの古い映画館だけがタイ語字幕の公開だった。
「呪怨」自体は好評だったが、その後の主要映画館での日本映画公開はタイ語吹替が増えていた。
英語の場合は吹替は少ないが、聴き慣れない言語だからタイ語吹替対応になったのかもしれない。

とにかく、終わりかけの映画が古い映画館でかかっているので、夜の最後の回はオレとそのときに一緒に行ったパッポンの女の子だけだった。
それだけで怖いが、「呪怨2」も最初のものに負けず劣らずの怖さだった。

このときに誘った女の子は長く知っている子で、「呪怨」も知らず、やっぱり怖かったようだ。
オレも内容は知らないので、要所要所で飛び上がるくらいに怖がった。
そのときにオレの肘がたまに彼女に当たったのだが、その都度彼女はオレを殴り返してきた。

そう考えると、同じように反応していたオレにインは優しかったなあと、そのときになって思った。
もうその時点ではインとは繋がりがなかった。

幼少期

今考えてみればインはいい性格だった。こんな幼少期を過ごしていたのかもしれない。

たった1回だけのデートだったが学ぶことは大きかった

繋がりがなかったというのは正確ではない。
本当のことを書けばオレは「呪怨」を見に行ったきり、完全にフラれてしまったようだった。
ただ、今でもその理由はわからない。

推測で考えられる理由は、まず映画のあとにあまりにも太い彼女を連れて歩くのが嫌で、食事などはせずに解散したから。
あるいは、映画に行く前に当時のオレのアパートに来てもらったのだが、そのときに身体の関係を求められたものの断ったからか。
もうひとつあるとすれば、当時のオレの部屋にはテレビや冷蔵庫などがなく、貧乏人そのものだったから話しにならないと思われたか。

ナナプラザ

当時はまだこんなきれいな看板ではなく、ナナの場末感はすごかった。

そんなこんなで、この映画のあとはすっかり疎遠になった。
こちらからも連絡しなかったし、インも電話をしてくるわけではない。
気がついたら、インはレインボー1からいなくなっていた。

そもそもいなかったことすら気がつかなったくらいで、いなかったことを知ったのは、インが出戻ってきたからだったほどだ。
しかも、オレは最初、それがインだとは気がつかなかった。

というのは、インがものすごく痩せていたからだ。
体重が半分以下になったのではないか。
スタイルもよくなり、顔もかなりかわいくなっていた。
違法なドラッグに手を出したわけではなく、普通にダイエットをしたらしい。
変な痩せ方ではなく、身体もきれいなラインと肌を保っていた。

若い女の子は急激に変身することがある。
なにがきっかけかはわからないが、そういうことはよくある。
稀にある程度歳をとった子にも起こる。
だから、女の子はどんな容姿でも、自分に好意を持ってくれる子は邪険にせず、大切にしておくべきだ。
オレは彼女からそんなことを学んだのであった。

ナナプラザの屋根

2018年4月に取り付けられた屋根。ナナがここまで変化するとは。

【プロフィール】
高田胤臣(たかだたねおみ)
1977年東京都出身のタイ在住ライター。
1998年初訪タイから2006年に結婚するまでにゴーゴー嬢、タニヤ嬢、マッサージ嬢など夜の女の子と一通りつきあい、タイの低所得者層から中流層の生活を垣間見てきた。
著書に「バンコク 裏の歩き方」や「東南アジア 裏の歩き方」など彩図社の裏の歩き方シリーズ関連、Amazon Kindleの電子書籍など。

タイ在住17年が送るバンコク夜遊びガイド『バンコクアソビ』電子版も販売スタート!

バンコクで遊ぶなら必読! – 『バンコク 裏の歩き方 [2017-18年度版]』

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