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第8回「逆ナン(?)のプラトニックな関係 ナーという女」
投稿日 2018.03.06
ダンスフィーバーで労せずして出会ったナー
先日、単行本出版に向けた取材をした際、久しぶりにラチャダー通りにあった日本人に人気のマッサージパーラー(ソープランド。以下MP)の「ナタリー」の前を通った。
かつて、オレ自身は夜遊びといえばゴーゴーバーか、ラチャダー・ソイ8にあった「ダンスフィーバー」というディスコで遊ぶのが専門といっていいくらいで、MPのことなんてまったく知らなかった。
もちろん「ポセイドン」といった有名どころの名前は知ってはいたが、当時(2002年ごろ)はナタリーの名前を聞いたことすらなかった。
そんなオレがナタリーを知ったきっかけを思い出した。
ある夜のことだ。
オレは当時つるんでいた日本人たちとダンスフィーバーに行った。
オレと何人かはダンサーを目で落とすと夢中になっていて、ほかの何人かはナンパが目的で遊びにいっていた。
まあ、ナンパといっても引っかかるのはやっぱり夜の女の子ばかりなのだが。
ダンサーは、ディスコタイムの合間にあるショーで、歌手のバックダンサーとして踊る女の子たちのことだ。
ダンスフィーバーは少数精鋭で、テレビでもバックダンサーを務めるようなかわいい女の子がいた。
当然、目でダンサーを落とすことができず、閉店になってしまう。
ダンスフィーバーの入り口で友人らはまだナンパをしようと躍起になっていて、あるグループに目をつけたようだった。
ダンサー組はそれを遠巻きに見ていたのだが、彼らが声をかけた中で一番かわいいとダンサー組で話し合っていた女の子――その子がナーだったのだが、遠巻きにいるオレたちナンパ男の仲間だと知るやまっすぐにオレに向かって歩いてきた。
「電話番号教えてよ」
なんにもしていないのに、その日はオレだけが電話番号をゲットするに至った。
唐突に出てきたナタリーという単語
電話番号だけ交換して、そのときはさよなら。
後日また会えばいいかと思っていた。
それから数日して、珍しく同じメンバーでトンロー13の日本村で日本料理店にいた。
確か、誰かが日本でバイトして稼いできて、奢ってくれるということで行ったのだと思う。
当時は今ほどに和食店もなかったし、物価的には気軽に食べられるような時代ではなかったからだ。
食事中、ナーの話になった。
ナーの見た目は清楚だったこともあって、友人らからは大ブーイングだ。
なにもしていないのに素人の電話番号をもらえた、と。
ダンスフィーバーでナンパをしてもほとんどが玄人で、素人に我々は出会うことはそうそうない。
見た目からして、ナーは女子大生だろうと、我々は盛り上がった。
そこで、友人らはまず彼女に電話してみてはどうかと言い出した。
だから、オレは携帯から彼女に電話をしてみた。
当時、電話料金も物価指数から言えば安くはなく、長電話をするのはそれなりの収入源がある人に限られる。
ゴーゴーの子たちもワン切りで折り返し電話をさせるのが普通だった。
ましてや若い女の子から男に電話するなどありえない。
電話番号交換を言ってきたのはナーであっても、電話をかけるのはこちらというのは最初から明白でもあった。
電話をすると、2、3のコールでナーは出てくれた。
当たり障りのない話をする。
年齢は確か19歳というようなことを言っていたと思う。
そして、ナーは学生なのかと聞くと、働いているといった。
「ああ、そうなんだ。学生だと思ってたよ。どこで働いているの?」
これはあくまでも飲食店で働いているのだと思っての質問だった。
あのころは高卒で会社員というのはそういなかったのもある。
「お店はナタリーよ」
彼女はそう言ったが、冒頭で書いたように、オレはナタリーのことなんてまったく知りもしない。
洋食店かなにかだと思い、適当に合わせて「へえ、ナタリーなんだ」と返した。
それに対してその場にいた友人らが一斉に笑った。
さすがにオレも、これは夜系だな、と勘が働き、適当に話して電話を切った。
「ナタリーってなんなの?」
そう聞くと、風呂屋だ、と教えてくれた。
やっぱりダンスフィーバーで素人には会えないのだ。
会ってビックリだが、その後の記憶がない
さらに数日して、オレはナーと再び会うことになった。
これまでもつき合っていたのは夜の女ばかり。
オレにとってなんら問題はない。
彼女はボーリングに行きたいと言っていて、当時ほかを知らなかったオレは「ワールド・トレード・センター」に来るように頼んで待ち合わせをした。
ワールド・トレード・センターは今の「セントラル・ワールド」のことだ。
「伊勢丹」が入居するあのビルは、2006年までワールド・トレード・センターという名称で、その後改装されて今の名称になる。
当時は伊勢丹の上が映画館やボーリング場で、建物の中央辺りにはランナム通りに移転前だった免税店「キングパワー」もあった。
また、アイススケート場もあるという、当時は最先端の商業施設でもあった。
ボーリング場前で待っていると、ナーと数人の女の子が現れた。
タイ人の女の子は初デートの際は誰かを同伴させる。
しかし、まさか4人も引き連れてくるとは。あの日ダンスフィーバーにいたメンバーかはわからないが、嫌な予感がしてならない。
そして、案の定、ボーリング、そのあとの「MKスキ」は奢らされた。
食事中、席から見える隣のCDショップの垂れ幕に、当時人気だったロックバンドがコンサートをやるということが告知されていた。
あのころはオレもタイ・ポップが好きなころで、何気なしに「ああ、ライブがあるんだね」と言った。
そのとき、ナーは垂れ幕の方を見てこう言った。
「どこで?」
オレも当時知らない地名だったし、タイ語の地名はときどき普通の読み方をしないので、合っているのかどうかわからない。
そもそもナーが読めばいい話だ。
「○□△×※って読むのかな?」
そう聞くと、彼女は首を振った。
「わからない、ワタシ、タイ語読めないから」
タイは識字率が高く、カンボジアならともかく、文盲に会ったことはない。
だから思わず訊いてしまう。
なんで?
「ワタシたち、ミャンマー人だから」
当時はまだタイ語の細かいニュアンスや発音の違いがわからないので、オレは言われるまで気がつかなかった。
食後、彼女たちが住むアパートに行った。
そのときに滞在許可証を見せてくれた。
隣接する3国(ミャンマー、ラオス、カンボジア)にタイ政府はビザと労働許可証とセットになったようなプラスチックの身分証カードを発行している。
彼女たちは正規にそれを保有していた。
もちろんナタリーで働くのは非合法だとは思われるが。
ナーが同居する女の子は色白のハチャメチャにかわいい子だった。
だが、ミャンマー人の彼氏がいた。
ビシッと七三分けにした、もさい男だった。
どういうわけか、記憶はそこまでしかない。
ナーとは身体の関係はないし、その後デートらしきことをしたのかどうかもまったく憶えていない。
正直言うと、顔も憶えていないし、ナーかナットかどっちだったかも曖昧だ。
印象に残っているのが、MKでみんな嬉しそうだったのと、字が読めないと言ったこと、七三の男となんであんなにかわいいのにつき合ってんだろうか、ということだけである。
【プロフィール】
高田胤臣(たかだたねおみ)
1977年東京都出身のタイ在住ライター。
1998年初訪タイから2006年に結婚するまでにゴーゴー嬢、タニヤ嬢、マッサージ嬢など夜の女の子と一通りつきあい、タイの低所得者層から中流層の生活を垣間見てきた。
著書に「バンコク 裏の歩き方」や「東南アジア 裏の歩き方」など彩図社の裏の歩き方シリーズ関連、Amazon Kindleの電子書籍など。
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