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- [連載]タイの考察 〜オンナとタカダと、時々、チョメチョメ〜
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第9回「トータルで数時間の関係だった パーンという女」
投稿日 2018.03.31
コラートで出会ったことがきっかけだったが……
タイでライターをしているし、初訪タイから数えて2018年でちょうど20年、住み始めて16年だが、オレはそれほど地方を周ったことがない。
基本的に興味がないものにはいっさい目を向けないので、あまり行きたいと思っていないからだ。
そんなオレだがなぜかコラート(ナコンラーチャシーマー県)には縁がある。
初めて行ったのはタイ語学校に通っているときで、2000年だった。
東京のタイ料理店でバイトをしていたときに一緒に働いていたタイ人の友人が結婚し、コラートで暮らし始めたからだ。
旦那が日本人で、その人物もよく知っていた。
最近のコラートは「ターミナル21」や「セントラルデパート」ができてずいぶんと発展してきたが、当時は高いビルは中心にあるコラートだけにしかないデパート「クランプラザ」くらい。
タクシーもなく、日本人が遊びに行く場所なんてどこにもなかった。
2002年に再び友人夫妻に会いにコラートに行った。
そのときは旦那も居住歴が長くなりいろいろと遊ぶ場所を知っていたので、喜々としていろいろな店に連れて行ってくれた。
コラート市街地のローカルカラオケで飲み、帰りはそこら辺を走っているバイクを呼び止めて送ってもらう。
バイクタクシーではなく、偶然通りかかっただけの人だ。そんなことができる、いい時代だった。
2日目の夜にホテルだったかディスコのラウンジに入った。
ラウンジといってもぼろいスカスカのソファーがある程度のバーで、コラートだから料金も安い。
そこで隣に来たのがパーンだった。
同い年で、当時25歳だった。
顔立ちは日本の女優、加藤夏希にかなり似ていた。
これを書くに当たって画像検索してみたが、むしろオレの記憶ではこれだというほど似ている。
背は160センチもないくらいで、華奢な女の子だった。
コラートで会ったのはこれが最初で最後だ。
要するにオレとしては適当に入った店で、ちょっと話しただけの女に過ぎなかった。
バンコクに遊びに来たと電話があった
当時はSNSなんて洒落たものはなく、携帯電話番号を交換することが一般的だった。
そして、水商売の子は電話代を払えないからワン切りでコールバックさせることが普通。
だからオレからかけない限り、もう繋がることはない。
そう思っていた。
それが数ヶ月後のある日のことだ。
パーンから電話がかかってきた。
「バンコクの叔母のところに遊びに来たから会えない?」
無職の彼女なしだ。
すぐに動けるフットワークの軽さがあった。
だが、叔母の家は「ザ・モール・バンガピ」のそばだという。
今でも結構遠い場所という印象だが、当時は僻地というか「そこバンコク?」というレベルだった。
遠すぎるからほかで待ち合わせたいというと「セントラル・ラートプラオ」を指定された。
それも「どこだよ」な場所だ。
当時はまだ地下鉄がなかったので、なんとなく聞いたことがあるぞ、くらいの記憶だった。
それでもなんとかパーンと落ち合い、適当に食事をして別れた。
たぶん……。
そもそもオレの記憶では加藤夏希だというくらいでなんの印象もなく、「誰だコイツ」くらいの気持ちだった。
当時はまだタイ語もそれほどできず、夜の女の平均的な裏事情もよく知らない。
ラウンジで知り合ったものの、学生だと言われて「ん?」と混乱するものの、どこまでが本当でウソかがまったくわからない。
つまり、いまいち彼女の素性を掴めないままであった。なにせ初見から実質2時間目であり、なんだかよくわからないままだった。
そのとき、同時に面倒なことがあって、そちらの印象が強かったのも、パーンと初めてバンコクで会った日の思い出を曖昧にしている原因である。
当時、日本人の友人がレディボーイを経験したいと言いだし、「キングスコーナー」に通い詰めていた。
口説いてまわり、ついにあるレディーボーイの部屋に行くことになったのだが、それがちょうどオレがパーンと会っている時間だった。
しかし、彼はそのときに怖じ気づいてしまい、オレに5分後に折り返し電話をしてくれと言う。
それを口実に部屋を去るという作戦だった。
了承し、オレが折り返したのは2時間後だった。「やっちまったじゃねえか!」と彼は怒っていた。
パーンと会いつつ、こんなことが起こっていて、まったくそのときの記憶がなく、ただ会ってさよならしただけだった。
オレの態度も悪かったし、これで終わりでしょうと思っていても、そうならないのがタイである。
再びバンコクにやってきたのだが、今度はラムカムヘン
どれくらい経ったのか、また電話が来て、今度は友人とバンコクに遊びに来たから一緒に出かけようということだった。
それで当時人気で、オレも行きつけにしていたラチャダーの「ダンスフィーバー」というディスコに行った。
その友人らもコラートの女の子たちだそうで、歳もオレとそんなに変わらない感じだった。
4人くらいいたのだが、そのひとりがタバコみたいなのを吸い始めた。それを回してくる。
「一緒に吸おうよ」
大麻だった。
いやいや、ここでそれは結構ヤバいでしょう。
田舎の人はバンコクの怖さをご存じないようだ。
閉店間際までいると警察の強制検査が入ることもあるので、早々に引き上げることにした。
するとパーンは一緒にホテルに行こうと言った。
その友人らと泊まっているホテルで飲み直そうという意味のようだ。
特に断る理由もなく一緒に帰ってみたものの、そのホテルはラムカムヘン大学の近くだった。
この辺りも移住したばかりの身としては頭の中の地図に未掲載だ。
なんでこの子はいつもこんなに遠い場所にいるのだろうか。
場所柄か料金わりにはいい部屋で、リビングと寝室が分かれていた。
軽く飲んで、彼女の友人らは部屋に引き上げた。
そうなればオレもやることはひとつだ。
ここで初めてそういった関係になった。
オレの中では、本業は学生と言うがパーンはラウンジに勤めているし、初めてではなかったみたいなので、互いに遊びの仲だと思っていた。
それ以前、そのとき、そしてそのあとも特にしつこく電話があったわけではない。
たまに電話が来たりするくらいだった。
だから、まさか彼女がオレとつき合っているつもりでいることはそのときは、というか、ふたりの関係が終わる瞬間まで実は思いもよらなかった。
パーンはコラート。
オレはバンコク。
住んでいるところも違うし、オレ自身がつき合っているなんて思いもしていないから、オレはオレでまた別のつき合いがあった。
そして、そちらに翻弄されているうちにいつの間にかそれがパーンに知られ、そうして関係が終わった。
今回はちょっと中途半端な終わり方になるが、次に紹介するある女の子との関係を語りつつ、その子とパーンの性格は極端に対照的だが、よくあるタイ人女性の「彼氏の浮気に対する反応」であったので、ケーススタディーとしてその2例を同時に紹介しようと思う。
パーンには本当に悪いことをしたとは思うものの、合計で24時間も顔を合わせたことがないので、オレとしてもあまり実感がない。
今彼女はどうしているのか。
日本人嫌いになっていないといいなと願うばかりだ。
【プロフィール】
高田胤臣(たかだたねおみ)
1977年東京都出身のタイ在住ライター。
1998年初訪タイから2006年に結婚するまでにゴーゴー嬢、タニヤ嬢、マッサージ嬢など夜の女の子と一通りつきあい、タイの低所得者層から中流層の生活を垣間見てきた。
著書に「バンコク 裏の歩き方」や「東南アジア 裏の歩き方」など彩図社の裏の歩き方シリーズ関連、Amazon Kindleの電子書籍など。
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