第7回「なぜそこまで働くのか プンという女」

投稿日 2018.02.04

髙田胤臣-タイ

言っては悪いが超ブスな女になぜかハマったオレ

第2回目の後編でソイ・カウボーイのワンに追い出されて扇風機を持って引っ越したカオサン通り。
2002年の12月だった。
特に落ち込むでもなく、ソイカウだけは避けながら、オレは毎晩遊び狂っていた。
そんな年末だった。

クリスマスか27日ごろに朝からゲストハウス主催でパーティーとなり、みんなで飲んだくれた。
夜にはチャオプラヤ河を渡ったピンクラオにあるイサーン・ディスコに繰り出した。
タイ人がイサーン・ディスコと呼ぶのかは知らないが、昔ながらのタイ式飲み屋のカフェーほどに男だけの遊び場でもなく、ディスコっぽさを残しつつも、かかっている音楽はルークトゥン(タイ演歌)やタイ・ポップという店だ。

店に着いた時点でとにかくボクは酔っ払っていた。
ディスコに出かける宿の従業員や友人らにおいていかれないように急いで着替えたものの、ハーフパンツの下にトランクスを穿き忘れていたほどすでに酩酊していた。
酔っ払っているので「なにがおもしろくてイサーン・ディスコに?」と悪態づいて、ちょうど「レインボー2」で働いていた仲のいい子がダンスフィーバーにいると電話があって移動。
その子は日本人にものすごい人気があったが互いに恋愛感情は一切なく、ただ普通に遊んでいる仲だった。

ダンスフィーバーはラチャダーピセーク通りのソイ6にあり、かつてはタイ国際航空のコマーシャルでジャニーズの長瀬くんが来たディスコである。
2002年前後は人気がピークで、毎日満席だった。
ステージでは歌手が歌いイサーン・ディスコと大差ないが、こっちの方がボクにはおもしろかった。

そのときに隣の席にいたのがプンちゃんだ。
オレと同い年で、ウボンラチャタニー県出身。
背が小さく幅のある体型で、オレが一所懸命口説いているところをそのレインボー2の女が止めに入るほどだった点で、どんな見た目だったかは察してほしい。

止められている時点ではオレは心底プンちゃんがかわいいと思っていた。
でも、翌朝、彼女の部屋で起きて、「うわ、オレ、なにやってるんだ」とショックを受けた。
しかも、その日目覚めたのは、知人が自殺したという一報が携帯電話に入ったのがきっかけだった。
最悪の朝だった。

髙田胤臣-タイ-ハリウッド

当時ダンスフィーバーと人気を二分していたディスコ「ハリウッド」。

また笑われると思ったら・・・・・・

扇風機とタライを持ってゲストハウスに現れたことで大爆笑を誘ったオレが、またある意味不祥事をしでかしたわけで、これはまたバカにされると落ち込みながらカオサンに帰った。
奇遇にも、プンちゃんの家はカオサンのすぐ近くで、歩くオレの足は非常に重かったと記憶している。

しかし、その日、ボクは笑われることはなかった。
というのは、その夜にボクはプンちゃんとタクシーで帰ったのだが、一緒に行った宿の友人数人はナンパした女の子の車に乗って送ってもらったらしい。
ところが、到着するやいなや1,000バーツ払えと言い出したらしく、罵って追い返したのだとか。

そこで終わればよかったが、怒り狂った女がアホの男を呼び、殺す! と宿周辺で喚いたらしい。
彼女たちはゲストハウスまで特定していなくて路地だけしかわからなかったようだ。
そして、近所の人たちと騒音で揉めだし、友人らが出ていくしかなくなって警察沙汰になったのだとか。
みんな悲惨な夜だった。

髙田胤臣-タイ

ザッツ・イサーン人な顔立ちと肌の色をしていたプンちゃんは小太りの女だった(写真はイメージ)。

その後もなんだかんだ言ってプンちゃんとは飲みに行ったりした。
最近はあまり見かけなくなったが、当時は例えば「MKスキ」に行けばカップルが向かい合って座らずに横に並んで食べている姿があったものだ。
プンちゃんもそれをやりたがり、オレはなんの罰ゲームだと思いながらも座ってやったりの仲で、それ以上でもそれ以下でもない。

身体の関係は特になかった。
いや、あったかもしれない。
というのは、その泥酔していた最初の夜だけは記憶にない。
もしかしたら、という感じで可能性としてはなくもないというか。
それ以降はまったくないのは自信を持って宣言したい。

とにかくなんか信じられないくらいかわいくなくて、あれはなんだったんだろうかね、と今でも思う。
つまり、それは彼女ではなくて、オレが、だ。

元々オレがタイに来たのは救急救命ボランティア団体の死体処理班の活動を見たくて、という理由で、その後2004年年末くらいから実際にボランティア登録して参加している。
いくつもの殺人事件現場などで死体の片づけをしてきたけれど、いつも思うのは「人間がこの世で一番怖い」ということである。
人の心はいつも闇に包まれている。
あのときのオレも、ホント闇の中だし、今思い出しても闇に葬り去りたい過去だ。

それはプンちゃんも同じだったと思う。

勤勉とはまさに彼女のことを指す言葉だと思う

プンちゃんはオレと同い年で、1977年生まれ。
当時25歳だった。
子どもの写真を持っていたけれど、それが彼女の子どもかどうかはわからない。
彼女自身は否定していたが、オレはたぶん彼女の子どもなんだと思っている。

彼女は夜の嬢ではない。
昼間はタニヤプラザのエステで受付嬢をしていた。
そして、その店はタニヤのカラオケクラブ「マーメイド」のオーナーがやっていて、信頼されていた彼女は夜はマーメイドのキャッシャー(会計係)をしていた。
2014年くらいまでは確実にそこにいたので、もしかしたら知っている人もいるかもしれない。

2010年前後にはホワイクワンの辺りで古式マッサージ店を経営しながらキャッシャーもしていた。
まあとにかくよく働く。

2002年年末に初めてプンちゃん宅に行ったときは、商店の屋根裏部屋を間借りして暮らしていた。
子どもがいるのではないかと思うのは、一所懸命に働くのは子どものためだからではないか、と見ているからだ。
オレに対してはいないと言うのは、タニヤでは嬢に対して客に子どもがいるとは言わないよう指導しているところもあって、それを見ていたからではないか。

一般的には夫が死んだとかではない限り、離婚しても親が養育費を稼ぐわけだが、ここはタイだ。
しかも、タイ東北地方の出身であるプンちゃん。
男が養育費なんて払うわけもなく、子どもを養うためには自分で稼ぐしかなかったのだろう。

今考えてみれば、本当にしっかりした子であり、見た目はともかく、妻や母親となるには素晴らしい人だったと思う。
今、考えればの話だ。
当時のオレはそうは思わなかったわけで。

オレのクズっぷりが全開になった瞬間

オレ自身もプンちゃんのことを信頼していた。
変な言い方だが、素人タイ人女性と親しくなったのが初めてだったし、マジメな姿を見て彼女がオレを欺すわけがないと信じ切っていた。
その当時も、そしてきっと今だって彼女はそんなひどいことはオレにすることはない。

2003年の4月に日本に用事があって半月ほど戻り、台北を経由してバンコクに戻った。
そのとき、プンちゃんにアパートの鍵を預け、自由に使っていいと言って、オレは日本に行ったわけだ。
そのときはペッブリー通りのソイ18に住んでいて、タニヤに行くにも便利だし、そもそもオレのアパートにはなんにもなかった。
2003年の1月か2月にカオサンの宿の連中に失望してここは早く出た方がいいと判断しみつけたアパートで、カオサンにやってきたのと同じ、扇風機とタライ、ラジカセと服くらいしか持ちものがなかった。

髙田胤臣-タイ-ペッブリー

ペッブリー通りソイ18の部屋は当初なにも家財道具はなかった。

ここからの話がホント、オレの中でもヤバいと思っていることであるし、プンちゃんも日本人に対して悪いイメージを持った可能性も高い。

台北に寄り、数日間観光を楽しんだあと、バンコクに戻った。
当時はドンムアン空港だったので、シーロム行きのエアポートバスに乗れば100バーツでBTSラーチャテーウィー駅まで帰ることができた。
疲れて部屋に着くと、プンちゃんが自宅からテレビを持ち込み、ベッドに寝転がってそれを観ていたところだった。

オレは無性に腹が立った。

自分でもわけがわからないが、瞬間的に怒りが沸騰してしまい、テレビと共にプンちゃんを追い出してしまった。

数日後、マーメイドの嬢たち数人とプンちゃんに呼び出され、プンちゃんに復縁を求められた。
嬢たちはそれ以前にも何度か飲んだり食事をしたことのある子たちだった。

そもそもつき合っているとも思っていなかったし、取り巻きを集めての説得に再度怒りがふつふつと。
というか、呼び出された場所もラチャダー通りの裏手にあるホストクラブだった。
それもどうなのかという怒りもあった。

プンちゃんは泣いていた。

「アンタがワタシに声をかけて来なければ!」

そう叫んでいた。

「アンタがワタシの人生に入ってきたんだ、責任を取れ!」

そう言っていた。

ただ、そのときのオレは、ブスが名言吐いているな、くらいにしか思わなかった。
今、考えるとホントひどいことをしてしまった。

その後、日系専門商社の営業マンになったオレは、接待で客をマーメイドに連れて行く機会が何度かあり、客と嬢をほったらかしてキャッシャーのカウンターでプンちゃんと会話を交わしている。
でも、一度も謝ってはいない。

髙田胤臣-タイ-タニヤ

数年前まではプンちゃんの姿を見かけたが、もう今はタニヤにいないかもしれない。

【プロフィール】
高田胤臣(たかだたねおみ)
1977年東京都出身のタイ在住ライター。
1998年初訪タイから2006年に結婚するまでにゴーゴー嬢、タニヤ嬢、マッサージ嬢など夜の女の子と一通りつきあい、タイの低所得者層から中流層の生活を垣間見てきた。
著書に「バンコク 裏の歩き方」や「東南アジア 裏の歩き方」など彩図社の裏の歩き方シリーズ関連、Amazon Kindleの電子書籍など。

バンコク 裏の歩き方 [2017-18年度版]

バンコク 裏の歩き方 [2017-18年度版]

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