- ホーム
- 企画 & 特集
- [連載]タイの考察 〜オンナとタカダと、時々、チョメチョメ〜
- 第10回「12歳で南部に向かい働き始めた乱暴者 スという女(前編)」
第10回「12歳で南部に向かい働き始めた乱暴者 スという女(前編)」
投稿日 2018.04.30
スという短い名前の女の子に会った
初めてのタイが1998年1月で、ついこの間、オレ自身がタイに関わるようになってから20年が経過した。
この間に知り合ったタイ人で、最も短い名前がこのスという子だった。
知り合ったのはラチャダー通りソイ6にあったディスコ「ダンスフィーバー」だった。
2002年の年末か、2003年の年始ごろか。
ダンスフィーバーには当時遊んでいた仲間たちと頻繁に遊びに行っていたが、オレはあまりナンパはしたことがなく、知り合いの知人だった謎のおばさんがスを連れてきて知り合うことになる。
そのおばさんはタイ人女性で、なんの仕事をしているのかまったくわからない。
それでも行くと必ずステージに向かって左側の席に陣取り、豪快に遊んでいた。
ときにはホストらしき若い男たちを侍らせたり、若い女の子を引き連れている。
そのうち、オレの知り合いが話すようになって、ときどき女の子を同じ席に呼んでくれるようになった。
オレはダンサーを見たくて飲んでいたのであまり関わったことはなかったが、聞けば、紹介される女の子は風呂屋の子ばかりということで、おばさんの仕事はポン引きとか、ドラッグのディーラーとか、そんなのだったのだろう。
ちなみに、ダンスフィーバーにオレらが頻繁に遊びに行けたのは、無料券があったからだ。
無料券を見せると、ウィスキーが2本無料になり、その代わりミキサーを500バーツ注文する。
銘柄はシーバスだが中身は劣悪なブレンデッドウィスキーと見られる。
それでも数人で行けば100バーツ程度で遊べたので重宝した。
その無料券はダンスフィーバーの前などにいるたばこ屋に置いてあり、タバコを買うついでにもらったり、タバコを買わずにもらったりなどで入手できた。
当コラムではすでに何度もダンスフィーバーの名前が出ているが、よく行っていたのはそういった事情もあった。
なんだかよくわからないままにスを紹介され、面倒なので電話番号だけ交換して、それで初対面は終わった。
名前も聞いていなかったし、特に思い出しもしなかった。
数日後にたまたま近くにいたときにダンスフィーバーにいると電話があり、一応会ってみた。
お互いに顔を見合わせて、
「この前会った人だよね?」
と確認し合った。
それくらい、お互いにどうでもいい関係だった。
会ってみたらなんと16歳の風呂屋嬢
そこから1ヶ月。
突然、スから電話があり、食事をすることになった。
スティサン署近くのタイ人向けカラオケ店だ。
このときに初めてスの素性を知った。
当時16歳で、ペッブリーの風呂屋「エビータ」で働いていた。
出身は東北のロイエット県で、12歳で家を出てロイエット市内の飲食店で働き始め、13歳で南部のハジャイに行きカラオケ店で働いた。
このときにタイ人男性と同棲を経験し、15歳でバンコクに来て、エビータで働いていると言った。
借金をして鼻の整形をしているとも話していた。
2000年代の初めは未成年者の風俗店就労はよくある話で、大して驚くべきことではなかった。
また、2003年はぎりぎり深南部3県も観光ができるころで、ナラティワートに行った際に12歳のホステスを見かけたので、スが働く場所は確かにあったのだろう。
ただ、それだけ緩いわりにはダンスフィーバーや隣のディスコ「ハリウッド」(今はソイ4だが、当時はソイ6にあった)も、年末のカウントダウンの時期以外は20歳未満の入店は不可だった(もしかしたら18歳未満だったかも)。
スはかのおばさんや従業員に顔見知りがいることで、ダンスフィーバーだけは顔パスで入ることができた。
カラオケで飲み食いしていると、ふいにスが「おっぱい見る?」と言いだした。
なんならトイレでやってくれてもいいよ、みたいなことも言う。
今考えると、子どものときに親元を離れるどころか、男性と生活を共にするし、オレと会ったときには風呂屋にいたので、モラルというか、なにかが欠如していたのだろう。
据え膳食わぬは、という男だったので、オレもじゃあとトイレに行きかけたが、スの電話が鳴った。
その後、スは全然席に戻ってこなくなり、会計時にどうしたのか訊いたら、男からの電話だった。
スは18歳のホストと暮らしていたが、フラれたようだった。
タイのホストは客の女性とのセックスは当たり前らしく、スの理論では「金を受け取っているならば浮気ではない」ということで、まあ自分を正当化するための考え方でもあった。
しかし、彼はほかの女に入れあげ、スの元を去って行くことになったのだった。
急速に接近してきたスだったが脳天気なオレは特に気にせず
その後、その彼氏といろいろあった末にスは部屋を出ることになる。
そして、あの謎のおばさんの関係から金貸しに金を借りた上に保証人になってもらってラチャダーのソイ・ナートーン近辺にアパートを借りたようだ。
今だと高級マッサージの「ザ・ロード」があるソイだ。
当時はエビータで働いていたのでスもそこそこに金があり、オレのアパートがペッブリーだったことから、仕事が終わると頻繁にうちに来るようになった。
いつもビールを買ってきてくれては部屋で飲んでいた。
そのときはまだカオサンから出てきたばかりで部屋にはテレビも冷蔵庫もなにもない状態だった。
栓抜きもなく、かといってタイ人がよくやる瓶と瓶を傾けてテコの原理で開けるあの方法はオレにはできない。
どうやって開けようか考えていると、スはさっとビール瓶を咥え、歯でいとも簡単に栓を抜いていた。
このころは数回前に登場したプンという働き者の女とも繋がっているし、前回のパーンとも関係があるころだ。
それでもスと一緒に住んではいなかったし、とあまり深く考えていなかった。
そんなある日、ロイエットに帰るとスが言い出し、どういうわけかオレも一緒にロイエットに向かうバスに乗っていた。
【プロフィール】
高田胤臣(たかだたねおみ)
1977年東京都出身のタイ在住ライター。
1998年初訪タイから2006年に結婚するまでにゴーゴー嬢、タニヤ嬢、マッサージ嬢など夜の女の子と一通りつきあい、タイの低所得者層から中流層の生活を垣間見てきた。
著書に「バンコク 裏の歩き方」や「東南アジア 裏の歩き方」など彩図社の裏の歩き方シリーズ関連、Amazon Kindleの電子書籍など。
コメントを残す