第8回「アタミのシンデレラ、深海の美女、そしてベートーベン」~20年前のバンコク・プライベート・ダイアリー

投稿日 2018.12.07

バンコク初入域から約四ヶ月後、バンコクの風俗世界で右往左往しながら旅の資金が心もとなくなってきたものの、何とかメデタク就職が決まった筆者。
金銭的には寸でのところで救われたようですが、すんなりと平穏無事な生活にならないのがバンコク!?
旅行者気分が抜けないままで仕事を始めてしまった筆者へ、相変わらず旅の神様からのいろんな悪戯が続きます!

【日記/(匿名)】
【構成、注釈、写真/志賀健(GIA捜査官)】

【11月28日(土)】俺は日本人のツラ汚しか・・・

バンコクで就職が決まり、しかも希望の職種だっただけに天に昇る気分!って言いたいところだが、正直に今の気持ちを吐露すれば「このまま夜遊び、女遊びを続けることが出来る!」だ。
まだまだエロイ沈没者/旅行者の延長線上にいるようで情けないが、これこそ「分かっちゃいるけど止められない」って状態だ。

一昨日の夜は、ペッブリー通りのMP「アタミ」へ行った。
何ヶ月か前にカオサン仲間4人と遊んだMPであり、皆で示し合わせて日本人と悟られないように振舞った。
日本人と分かると店内のコンシア(店内案内係)がフッカケテくるらしいからだ。
この日も下手くそな英会話力を駆使して楽しんできた。
指名した泡姫は大変愛想が良く、帰り際に高価なヨーロッパ産のチョコレートを分けてくれた。
多分、ヨーロッパ人の常連さんからの差し入れだろう。
あまり言葉が通じないタイで、こういう心配りをされると俺はイチコロだ。
だから二晩続きで、昨晩も彼女を指名しに「アタミ」へ行った。

ところが、今度はとんでもない“返り討ち”を喰らった。
彼女を指名した後にコンシアと一緒にキャッシャーデスクへ行くと、一昨晩は1,100バーツだったのに、昨晩は1,500バーツなのだ。
「なんで昨日よりも400バーツも高いんだ!」と抗議すると、コンシアはニヤニヤしながら言いやがった。
「お客さん、日本人でしょ?見かけや英語の発音で分かりますよ。日本人は皆んな1,500バーツですよ」
相手を欺いていたという多少の負い目はあるが、日本人だけが特別料金という言い草がどうしても気に入らない。

「タイ人とのトラブルは怒ったらダメだ」
俺に「アタミ」を紹介して、日本人だと思われないようにしろとアドバイスをくれた先輩沈没者の言葉が脳裏をよぎる。
「分かったよ。じゃあ今夜は帰るよ」
何とか怒りを鎮めて出口の方へ向かうとコンシアが行く手をふさぐのでもみ合いになった。
「お客さん、待って待って。今日はウイークエンド・サービスとして特別に1,300バーツでいいですよ」
「日本人だけが特別料金なんてジョーダンじゃないぜ」
「アナタ ヤサシイ センサンビャクバーツ オーケーナ」
「ワタシ ノー ヤサシイ!」
とかなんとかクダラナイ言い争いをしながら、俺はコンシアを振り切って強引に店の外へ出た。
ふざけるなってんだ。
MPは他にいくらでもあるさ!

店からペッブリー通りまで出てタクシーを拾おうとしたら、背後から「アナター!アナター!」という女性の大きな呼び声がする。
振り返ると、先ほど指名した泡姫がブルーのド派手なセクシードレス姿のままで店の入り口付近で何やらコンシアと言い争いをしながら必死の形相で俺に手招きをしている。
やがて彼女は小走りで俺を追いかけて来た!
青いドレスで懸命に走る女、ったくシンデレラじゃあるまいし何という光景だ!?
俺に近づきながら彼女はワケワカンナイタイ語をぶつけてくる。
ニュアンスから「私がコンシアに話をつけるから帰らないでよ」と言っている様に聞こえた。
そして彼女は立ちすくんでいる俺の手を取って店に引き返し始めた。
ここまでされたら彼女の顔を立てるしかあるまい。
あらためてお会計をしようとすると、税務署の出納係みたいな冴えない風貌のキャッシャー・レディが不愛想に「1,100バーツ」と言った。
例のコンシアは別の客の相手をしていて知らんぷり。
しっかしまあ、店の外まで泡姫が飛び出してくる事態になってしまった事がとても恥ずかしくなった。
それにセクシードレス姿の泡姫に店に連れ戻されている自分の姿は、傍から見れば“やり逃げ”でとっ捕まったみたいじゃないか!
クソッタレ、二度と「アタミ」には行かねーぞ!

【注釈】
今は無きMP「アタミ」は、ラチャダー通りとペッブリー通りの交差点から、ペッブリー通りを入って徒歩10分くらいの位置あったと記憶しています。
バンコクのMPでは老舗の部類でしたが、遊び慣れていない日本人来店者相手に高額な特別料金を提示してくることで悪名が高く、通常1,100バーツの値段を酷い時は3,000バーツぐらいフッカケテきたらしいです。
1998年当時、既に店内は老築化が激しく、その後改築されることもなく2005年前後に「アタミ」は閉店しましたが、今にして思えば日本人客への異常なボッタクリは、フロア担当の従業員たちの悪だくみ、閉店前の荒稼ぎ作戦だったのかもしれません。
もっとも泡姫たちにまで過剰利益が分配されていたのかどうか。
【注釈】
泡姫が金魚蜂の中から店外まで追いかけてくるなんて滅多にありえない事ですね!
しかし筆者には申し訳ないですが、筆者が泡姫に気に入られていたというよりも、月末の“追い込み時期”で泡姫もお客を逃がしたくなかったのでしょう。アルバイト気分でMPに勤める最近の泡姫よりも、昔の泡姫は家族の為に稼ぐのに必死だったのです。

【11月29日(日)】イクべきか、トメルべきか、それが問題だ!

「アタミ」に連れ戻されたとはいえ、結局昨晩は“不発”に終わってしまった。
当たり前だ。
あんな気分にされたんじゃあ楽しめるわけもねーよ!
“不発弾の処理”を実行するべく、今宵はMP「リビエラ」へ。

「リビエラ」の店内には他のMPとは明らかに雰囲気が異なる、海の底にいるような不思議な静寂美が漂よっていて、泡姫たちがとても神秘的に見える。
今宵は一人飛びぬけて目を引く美人がいた。
まるで光を発しながら獲物をおびき寄せる美しい深海魚のようだ。

しかし今宵は泡姫と戯れるだけではなくてコミュニケーションをとりたい気分でもあったので、コンシアに英語が上手な泡姫を選んでもらったところ、その美人泡姫が該当者であった!
あらためて至近距離で見た彼女の肌は褐色であり、色白好きの俺の“どストライク”ではなかったものの、鼻筋の通った理知的な顔立ちと綺麗なウエストライン、そして英会話OKのスキルをもつ彼女に今宵の癒しを賭けてみた。
俺を部屋へ案内する彼女は確かに英会話は達者なようだが、愛想が良いというよりも、ずっと俺を見ながら意味深長にニヤニヤしている。

部屋の浴槽にお湯を溜め終わった彼女は、突然予想もしなかった言葉をはいた。
「私の事まだ分からないの?〇〇さん!」
彼女が俺のニックネームを知っていたので仰天してしまった!
それでも俺は彼女が誰だか分らないので、彼女はケラケラ笑いながら「ペット」と名乗った。

「ペット」という名前を何度か反芻した末にようやく気が付いた。
初めてカオサンに入った四ヶ月前に、よく一緒にナナ・プラザのゴーゴーバーに遊びに行っていた仲間T君の大のお気に入り嬢が「レインボウ1」で踊っていたペットだった。
ペットは突然「レインボウ1」から姿を消したのでT君はひどく落ち込んでしまっただけに、英語がほとんど話せなかったT君の代わりに俺が「レインボウ1」の女の子たちにペットの行方を聞いてあげたりしていた。

さあ困った。
T君は只今マレーシア、インドネシアへの旅の最中であり、近い内にバンコクに戻って来ることを知っているだけに、彼の不在中にペットと楽しむことは抜け駆けになりはしないか?
いやいや、ペットは風俗嬢なんだし、お金を払った上での行為なので気にすることもないか?
そもそもペットが「リビエラ」で働いているなんてカオサン仲間は誰も知らないだろうから悩む必要もないか?
そんな俺の逡巡なんか微塵も気にかける様子もなく、ペットは俺のシャツのボタンをゆっくりとじらす様に外し始めた。
ペットのかすかな体臭と甘いヘアリンスの香りに欲情してきて迷いが消えかかった。
「もういいや、やってしまおう!」

ところが、シャツのボタンがひとつひとつ外されていく毎に、脳裏に浮かぶT君の顔が徐々に鮮明になってきた。
ついにシャツは完全開襟にされ、ペットの両手はベルトのバックルを外しにかかっている。
“不発弾”は膨れ上がって暴発寸前だ!
一体どうするべきなのか!?

【注釈】
筆者は再会したペットさんに最初は気が付かなかったようですが、彼女はプチ整形をしていたのではないでしょうか。
タイ人女性の間で整形が流行り出したのは1995年頃からであり、当時のバンコクには闇の整形外科医も結構おり、「二重瞼にするだけ」「鼻を高くするだけ」ならば1,000バーツ(当時のレートで約3,500円)ぐらいから可能だったとか。
【注釈】
「リビエラ」は、ペッブリー通りとトンロー通りの交差点付近にあった今は無きMP。
南フランスの高級避暑地の地名を店名にした特異な美的センスは店内インテリアにも反映されており、文中の描写通り海の底か水族館にでもいるような独特の静寂と暗がり具合が特徴でした。
ブラックライト(女性の肌を美しく見せる特殊なライト)の効果も素晴らしく、ほろ酔い気分で訪れると泡姫たちが殊更美しく見えたものです(笑)

【11月29日(日)】友情の不発弾!?

今まさに“俺自身”を露わにしようとしているペットの手を寸でのところで制した。
俺は自分の欲望よりも知人への義理?を優先することにした。
「ペット、止めよう。君はT君のガールフレンドじゃないか」
俺にもまだ良心の呵責は残っているのだという自己正当意識と、風俗嬢としてのペットのプライドを傷つけてしまったかもしれないという自己憐憫とがないまぜになり、さっさとこの場を立ち去りたくなった。
でもそんな事をしたらますますペットの立場をないがしろにしてしまうかもしれない。
俺はペットの風俗サービスを受けるのではなく、彼女との世間話で時間を潰すことにした。
「久しぶりだから、まずはオハナシでもしようじゃないか」

ペットは頭のいい女性なのだろう。
俺が彼女に指一本触れないことを不思議がることもなく、時間内終始笑顔で雑談に応じてくれたが、まあ心の中では「話をするだけでいいなんてラッキー!」とほくそ笑んでいたに違いない。
ペットは日本に行きたいから、ゴーゴーバーからMPに職場を移したと言う。
彼女の理知的で凛とした容姿ならば、日本人客がたくさん付くだろうし、運が良ければ彼女を日本に連れて帰りたいというお客さんに当たるかもしれない。
でもゴーゴーバーにも日本人客は大勢来るんだから、ペットの転職理由が判然としない。

やがてペットの日本行きの思惑が別次元にあることが分かった。
バンコクのMPには日本行きを斡旋するブローカーが出入りしていて、高額な手数料を払えば日本で働かせてやると誘われているらしかった。
「日本で働いたら物凄い額のサラリーが貰える!」とペットは目を輝かせていたが、危険な香りがプンプンする話だったので、ひとつだけアドバイスを送っておいた。
「日本のサラリーは魅力的かもしれないけれど、生活費も高いよ。食費だってラーメン一杯が150~200バーツ(450~600円)もするよ」
ペットは初めて驚いた表情を見せ、家賃は?焼き飯代は?お米代は?ソムタム(タイ風青パパイヤ・サラダ)代は?と矢継ぎ早に質問を始めたその直後、タイムオーバーを知らせる部屋の電話が鳴った。

結局二夜連続で俺は不発弾を抱えたままでカオサンに戻る羽目になった。
まあ遊びなんてものは、ハズシもあってこそ遊びだが、“人買い”同然と噂されるブローカーの魔の手からペットを守ってあげることが出来たのかどうかも判然としないし、何もかもが中途半端に終わった。

もし俺の方に落ち度があったとすれば、就職が決まって明後日12月1日の初出勤を控えている時期に、相も変わらず旅人気分で夜遊びに耽っていることだろうか。
採用されたことに感謝して襟元を正しておけば、こんなワケワカンナイ体験にタリナイ頭を悩ますこともなく、金を払って不発弾を抱えることもなかっただろう。
でも今宵の出来事は、バンコクの取材屋としては結構オモシロイ体験になったんじゃなかろうか?いつかコラムのネタにでも成ればいいかな(笑)
度重なる夜遊びハプニングのお陰で、俺も随分と楽観的になったものだ!

【注釈】
ペットさんへ日本行きを斡旋していたブローカーの存在は、私も2003~4年頃にMP「エビータ」の泡姫から話を聞いた記憶があります。
また、ブローカーの手引きにより実際に日本で働いているタイ人女性と日本で知り合ったこともあります。
そのタイ人女性が語ったところによると、大概のタイ人女性は日本の風俗店、風俗系水商売店へ派遣されるそうですが、高額な斡旋料(確か約300万円)が借金として重くのしかかり、日本は生活費が高いこともあり、タイの家族に仕送りをしながら借金を完全に返済するとなると相当の時間がかかるそうで、「自分に残るのは、勉強している日本語能力だけ」とのことでした。
ちなみに日本のハードボイルド作家である馳星周の作品で、タイが舞台になった「マンゴーレイン」(2002年発表)の中に、同様のブローカーに騙されて日本へ渡り、風俗店で奴隷の様に働かされて命を落とすタイ人女性のエピソードが登場します。
尚、今でも同様のブローカーが存在するか否かは不明です。

【12月3日(木)】祝演と警鐘

日本語情報誌「W」の事務所に出勤して3日目、俺は日本人社長の取り計らいにより朝一番で某日本人コミュニティー・トップの人物A氏のご自宅まで入社の挨拶に行った。
体格は武道家の様に立派であり、マスクは昔の日本映画に出てくる俳優さんのような超ハンサムなA氏は、また相当な高等教育を受けてきたインテリの様だ。
A氏は「まあ聞きなさい。これは私からの就職祝いだ」と言って、応接間のグランドピアノでベートーベンの「ピアノ・ソナタ第3番第3楽章」を披露して下さった。
しかも暗譜(譜面無し)による流麗なプレイだ!

まさかまさか、バンコクで俺が敬愛しているベートーベンの名作を生演奏で聞けるとは!
俺は感激のあまり、その場で卒倒しそうになった。
ちなみに帰り際にはもう一発、今度は“イタイ”お言葉も頂戴した。
「君はタイで働き始めたばかりだろう。まだタイ人の女を作ってはならんぞ、いいな。まずは仕事、それからタイの歴史とタイ語を勉強しなさい。女はその後でいい」
別にタイ人の彼女が欲しいとは思ってはいないが、俺の現在の生活実態を見透かされているようでちょっぴりコッパズカシクなったが、このアドバイスは警鐘として受け止めさせて頂くべきだろう。
明日は情報紙の12月5日発行号が納品される日だ。
そろそろ旅人気分を払拭して夜遊びを慎まないといけないが、果たして簡単に現在の生活態度をあらためられるだろうか?

つづく

 

【志賀健(シガケン)プロフィール】
1972年神奈川県生まれ。
元高校球児の左腕投手で、プロ入りを志望するも断念。
その後ロックンローラーに転身するも、またも挫折してアセアン放浪の旅へ。
以後フリーライターで食い繋ぎ、現在アセアン沈没中の生粋の不届き者。
ミレニアム前後から、日本の音楽サイト、アセアンの日本語情報紙等へ投稿経歴あり。

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