第9回「終わらない初期騒動と“嵐”のバロンマッサージ」~20年前のバンコク・プライベート・ダイアリー

投稿日 2019.01.03

バンコクで仕事を始めることとなり、カオサン生活ともオサラバするために筆者はアパートへ引っ越すことに。
旅行者から仕事人として生活態度自体をあらためようとする形跡は見られますが、ハプニングはまだまだ続きます!
そして遂に!?今や伝説と化しているバンコクのスペシャルマッサージ店の元祖「バロン・マッサージ」へ足を踏み入れることになりました。
やはり仕事の体験よりも遊びの体験の“王道”の方が筆者にとっては近かったようです!

【日記/(匿名)】
【構成、注釈、写真/志賀健(GIA捜査官)】

【12月4日(金)】遊ぶのが楽しい所で仕事をするのは大変だ

バンコク初出勤から4日目、今日は俺が入社してから初めて日本語情報紙「W」が印刷所から納品される日だ。
納品日というのはやはり編集者のハシクレとして緊張するものだ。
「指定通りの色に刷り上っているか」「見出し等の目立つ所にみっともないミスはないか」「ページ数表記は正確か」「写真の貼り間違いはないか」等など、まだ入社したてなので製作には関わっていないのに気にかかる。
バンコクで夜遊びに呆けているとはいえ、納品日特有の緊張感が蘇ってきたことに少なからず驚いてしまう。
ああヨカッタ、俺はまだ編集者、いやそれ以前に仕事人としての当たり前の感覚が失われていなかったのだ!
バンコクでは、カオサンの沈没生活でも、夜遊びでも、就職活動でも、いきなりハプニングに見舞われることが多かったので、せめて仕事は穏やかにスムーズにスタートしてほしいものだ。

しかし午前中の外回りを済ませて昼過ぎにオフィスに戻ると、俺の切なる願いはあっさりと潰えてしまった。
12月5日号が納品されたばかりのオフィスは大騒ぎになっており、日本人編集長がタイ人スタッフたちに対して何やら大声で弁解?している。
タイ人スタッフたちの顔は一様に真っ青だ。
通訳さんに事情を聞いたところ、12月5日号の第一面は「プミポン国王のお誕生日を祝う祭事イベント紹介の特集であるらしいが、国王様のお写真の上に従来のトップページのレイアウトのままに広告が掲載されてしまっており、これは国王様への冒涜になるので絶対に刷り直さないといけない事態とか。

編集長の「特集記事自体は国王様のお誕生日を祝う内容であり、しかも日本語メディアなんだから問題ない」という言い分と、タイ人スタッフたちの「タイで発行されているのだから、その理屈は通用しない」という言い分がぶつかり合っている!
やがて編集長はヤケ気味に「刷り直しなんて冗談じゃない!広告主へ納品が遅れてこの先広告を失ったらどうするんだ。年末年始だけ特別に頂いた広告もあるんだ。今月の給料をみんなに払えなくなるぞ!」とわめき散らしている。
通訳さんは泣きそうになりながら「絶対ダメです。国王様に失礼です」を繰り返すばかり。
それにしても、なんでもかんでも俺のバンコク・ライフはどうしてこうも騒がしく始まってしまうのか不思議でしょうがない。

1998年年末のバンコクの話題といえば、アマチュアスポーツのアジア大会の開催。またこの大会に合わせて高架鉄道BTSが開通予定だったが結局間に合わず。開通は丸一年後のプミポン前国王のお誕生日まで長引いた。

この騒ぎに一息入れるつもりで編集長に「色校正の段階では、印刷所のタイ人たちとか誰も気が付かなかったのですか」と伺うと、「色校正って、何それ?」って返答でオハナシにならない。
やがて業を煮やした様に日本人社長がやって来て編集長を一喝。
「ここはタイだ。タイの習慣に従うのは当たり前だろう。さっさと刷り直しなさい」
刷り直し騒動の影響で、午後からの事務所はどんよりと沈んだ雰囲気になってしまった。
退社時間直前に社長に声をかけられたが、これがなかなか含蓄のあるお言葉だった。
「入社直後に騒がしくして悪かったな。君はタイに遊びに来ていたんだろう?遊ぶのが楽しい所っていうのは、仕事をするのは大変だってことを覚えておいてくれ」

【注釈】
いかなる媒体のいかなる広告にせよ、国王様のお写真の上に広告や記事を載せることはご法度。法律上の正式な制定などは無いでしょうが、いわば暗黙の了解、習慣です。いかに国王様がタイ国民に敬愛されているかを物語っています。
【注釈】
「色校正」とは多色刷り印刷物の本刷りの前に、カラーインクの発色状態を確認する為の試し刷り。文中から、日本語情報紙「W」は、恐らく経費削減から色校正を省いて本刷りをしていたと思われます。

【12月12日(土)】バックパッカー生活にお別れしたが・・・

今日はカオサンでのバックパッカースタイルの生活にピリオドを打って、スクンビット・ソイ22のアパートへ引越しを終えた。
エアコン、ホットシャワー、ベッド、クローゼット付きで家賃は8,000バーツ。
バンコクの生活費の見当がつかないので、家賃が高いのか低いのかは分からない。
日本語情報紙に広告が掲載されていたK不動産に直接出向き、担当者に月給額を伝えてここを選んでもらった。

事前に部屋をチェックしておいたので問題はないと思われたが、またしても予期せぬアクシンデントが起こった。
正式な入居手続きを済ませて荷物を運び込んだ後にホットシャワーを浴びている最中、
天井板の隙間から夥しい数の極小の毛虫の様な虫が続々と這い出てきては床に落下してくるのでシャワーどころではなくなった。
シャワーで塗れた床の一部が真っ黒になるほどに虫の大群に絶句・・・一体なんなんだ、コイツラは。
ホットシャワーで上昇した温度や湿気に耐え切れずに苦し紛れに姿を表してきたみたいだ。
バックパッカーがどっかの国から安宿に害虫を持ち込んでしまう話は聞いたことはあるが、俺は元パッカーとはいえ、これは俺の責任じゃないぞ!

この異常な数の虫が天井裏に生息していたのかと思うと、とてもじゃないがこんな部屋には住めない。
さっそくフロントにいたオーナーのオバサンを部屋まで呼んでクレームをいれたところ、オバサンは虫の大群に顔色ひとつ変えず言いやがった。
「部屋を変えたいなら、契約書に書いてある通り、ルーム・チェンジ代3,000バーツ払いなさい」
この言い草、言い方にも絶句してしまった。
やっとの思いで、この事態はそちらの不手際ではないのかと言い返すもオバサンは知らんぷり。
天井裏の事情なんざ知ったこっちゃない!ってな横柄な態度だ。
「3,000バーツ払うのか払わないのか早く決めてくれ、こっちは忙しいのだ」って冷たく言い放つこの業突く張りのクソババア、初めてタイ人を張り倒したくなった。
また言われた通りに追加金を払うとクソババアに完敗した気分にもなりそうなので、この部屋を契約通り使用することにした。シャワーを出しっぱなしにして、天井裏の虫を全部誘き出し、一部の天井板を外した上で殺虫剤を1本丸々ブチかましたら気が済んだ、というか疲れ果てた。
まったく最悪の引越し初日になってしまった。
一体いつまで続くのか、俺のバンコク・いきなりハプニング/アクシデント街道・・・。

【注釈】
1998年当時、スクンビット・ソイ22で家賃8,000バーツのアパートとは、現在ならば12~13,000バーツのアパートに相当するレベルと思われます。
天井裏から虫が大量に這い出てきたとは驚きですが、当時のその家賃レベルならばアパート側の建物管理もずさんであり、決してありえない話ではないでしょう。
またエアコンやホットシャワーの不良は当たり前であり、電力供給状態も不安定。
携帯電話や電気シェーバーの充電を長時間ほったらかしにしておくと故障が生じることもしばしば。
当時バンコクで安アパートに住む場合は、スタビライザー(電力供給安定器)が必需だったのです。

【12月19日(土)】あの日本人客を徹底破壊せよ!~伝説のバロンマッサージ潜入!

年末年始のバンコクは1年のうちでもっとも気温が下がってしのぎやすいという。
確かにTシャツ1枚、短パン1枚で寝ていると朝方は寒くて目が覚めることがある。
昨晩はナナプラザのゴーゴーバー「プレイスクール」でウエイトレスをオールナイトで指名してお持ち帰りしたが、彼女は俺の部屋に毛布が無いことに文句を言い、朝方5時ごろ「寒い、寒い」と帰り支度を始めた。
彼女は「マッサージが出来る」とアピールしてきたのに、マッサージの真似事すらできなかったから、「少しはマッサージを習っておけよ」と俺も一言文句を返したところ、
「そんなにマッサージが好きなら、ソイ24の『バロン』に行けばいいわ。セ○○ス出来るしセクシーレディがいっぱいよ」
と、半ば捨て台詞的な言い方ながらも興味のある情報をくれた。

夕方から季節はずれの大雨となったが、「バロン」はあっさりと見つかった。
ソイ24の「ラーメン一番」での遅い昼食の後に一服しながら店先で雨宿りをしていると、丁度会社の別部門の先輩K氏と出くわした。
「バロン」の場所をきいてみたところ「ラーメン一番」のほぼ目と鼻の先であり、大して雨にも塗れることなくたどり着けるので即時潜入決定だ。

入り口には床屋さんの目印である赤青白のクルクルが回る小さなサインポールが掲げられており、タイによくある「バーバー&マッサージ」って雰囲気であり、ドギツイMPやゴーゴーバーからすれば随分と地味な店構えだ。
横長の「BARON MASSAGE」の看板を掲げた入り口前は小さな駐車場になっており、どうやら裏口の方に来てしまったようだが、扉の向こう側に受付カウンターが見えたので、迷うことなく入店。
すると突然受付女性のスルドイ視線に胸を貫かれた。
その攻撃的な瞳は「またスケベ日本人か」「さっさとコースを決めて銭を払え」ってな挑戦的な色合いが濃い。
既に30歳は超えていそうな女性だが、身なりが良くてそれなりに美人なので、恐らくママさんなのだろう。
彼女は俺を新規客と見抜いた様で、面倒臭そうにカウンターの上に置いてあるメニュー表をバシン!と叩いて「どれにするのよ」ってな態度。
過日腹が立ったアパートのオーナー女性の様な横柄さだが、「バロン」のママは美人なので許す。
それにしても、ブスよりも美人の不機嫌な顔の方がはるかに怖いものだ。
「ママを指名したい」なんてお世辞を言ったらソッコーで横っ面を張られそうだ。

90分オイルマッサージをオーダーすると、ママは「700バーツ」とぶっきらぼうに請求した直後、右側の衝立の向こうへ大きな声でタイ人女性の名を呼んだ。
「お前みたいな新参者に指名なんかさせないわよ。こっちであてがった女で我慢しなさい!」ってな迫力だ。
仕方が無い、今日はおとなしく従おう。
相手が強気でグイグイ攻めてくると、なかなかアドリブというか機転が利かないのが俺の性格だ。

【解釈】
ゴーゴーバー初心者の読者さんの為に一応説明しておきますが、ウエイトレス嬢も連れ出しは出来ます。
連れ出し料もチップも踊り子と同額です。
ただし1998年当時はウエイトレスには連れ出し拒否権があり、自分が気が乗らないお客のお誘いには「No!」と言えた時代だったのです。
今はお店やウエイトレスによって違うようです。

現在はスクンビット・ソイ22,24,26,31,33等にスペシャルマッサージ店が数多く営業しているが、「マッサージ+スペシャル」の始まりは「バロンマッサージ」だった。

それはスペシャル・ジェットコースター・サービスだった!
やってきたマッサージ嬢は受付のママと年齢は大して変わらないと思われたが、色白な肌は温かくて感触もよく、何よりも愛想がいいので最初は揺りかごの中にいるようなキモチイイ気分のマッサージだった。
しかし10~15分経過してからだろうか。
彼女は突然俺のマッサージウェアむしり取り、唸りにも似た奇声を発しながら俺の身体全体を物凄い勢いで○○し始めた。
○○ってのは恥ずかしくて正確には書けないということではない。
「舐め回す」「撫で回す」「しゃぶりまくる」なんて生易しいアクションではなく、的確な表現が見つからないのだ!
腹を空かせた獣が久しぶりの獲物を骨まで貪り食うというか、彼女は俺の身体をまるで皿回しが皿を回すように自在に扱い、突き上げられたり引きずり落とされたり、右に振られては左に返されたり、うつ伏せのはずが仰向けにされていたり!?、もう何をされているのかわからないような錯乱状態の中での快感の嵐。
風俗嬢にサービスを受けている時は概して時間が短く感じられるものだが、このバロン嬢においては、こっちが攻める隙を一切与えない果てしなき重量攻撃!
お仕事中、彼女のアタマん中の意識は「この客を必ず撃沈してみせる」、ただそれだけなのだろう。
男の身体を軍艦になぞらえれば、彼女は軍艦を四方八方の空から攻撃しまくる航空爆撃機だ!
俺が「バロン」のオーナーだったならば、彼女の源氏名を「ミラージュ(戦闘爆撃機)」とか「バックファイヤーII(戦略爆撃機)」とか名付けたであろう!

2回、いや3回“持って行かれた”だろうか?
俺の心身機能は完膚なきまでに蹂躙され、夢遊病者の様な足取りで店を出た。
受付付近でママと目が合い、「ふん!」と鼻で笑われた様な気がしたが大して腹もたたなかった。
アパートに戻ってからシンハービールを飲むと、アルコールが一気に全身に回っていく気がした。
やがて少し我に返ると、昨晩一緒にいたゴーゴーバーのウエイトレスと「バロン」のママの顔が似ていることに気が付いた。
中国系のきつめの美人であり、細身で色白、真っ赤なルージュの艶具合も同じだ。
まあ姉の商売に妹が一役買っていたとしても不思議はないが、そんな事はすぐにどうでも良くなった。
俺は今日、バンコクでとんでもない風俗店、風俗嬢を見つけてしまったという驚きに心身がわななきっぱなしだ!
夕方からの突然の豪雨は、まさに風雲急を告げる合図だったようだ。

つづく

【注釈】
「バロン・マッサージ」は、現在数多く存在する「スペシャル・マッサージ店」の元祖。
スクンビット通り24と26の間、現在のBTSプロンポン駅前にある「ホテル24イン」の数件左隣にありました。
受付ではマッサージ代だけを払い、お楽しみ希望のお客は部屋で女性と交渉して、「手」「口」「スペシャル」のサービスを選ぶことができました。
マッサージだけの場合は、白か水色のユニフォームの女性が付き、スペシャル・マッサージの場合はセクシーコスチュームの女性を選ぶことが出来ましたが、“流れによって”マッサージ・オンリーの女性ともその後のお楽しみまでOKでした。
度重なる“ガサいれ”の末(?)に、「バロン」は2002~3年頃に閉店。
後にスクンビット・ソイ33に同名店がオープンしましたが、元祖「バロン」とはまったくの別店であり、名前だけちゃっかり拝借したようです。

【注釈】
「バロン」には既に伝説と化した物凄いサービスをする“性豪嬢”が3人いて、筆者があてがわれたのはそのうちの一人、多分、源氏名「M」さんだと思われます(笑)
バンコクの女遊び歴が長~い方ならご存知でしょう!
性豪トリオの中でも特にMさんは、愛想が良くてチップも要求することもなく、お仕事が終わった後も自ら部屋の片付けをするなど性格も良くて日本人客に大人気でした。
「バロン」を卒業した後、確か2005年にMさんはトンローに自分の店をオープンしたと聞いたことがあります。

【志賀健(シガケン)プロフィール】
1972年神奈川県生まれ。
元高校球児の左腕投手で、プロ入りを志望するも断念。
その後ロックンローラーに転身するも、またも挫折してアセアン放浪の旅へ。
以後フリーライターで食い繋ぎ、現在アセアン沈没中の生粋の不届き者。
ミレニアム前後から、日本の音楽サイト、アセアンの日本語情報紙等へ投稿経歴あり。

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