第5回「密輸品とバック“ファッカー”」~20年前のバンコク・プライベート・ダイアリー~

投稿日 2018.09.03

カオサンとバックパッカー

“プロの女性”たち相手にてんやわんやな風俗初体験が続く筆者。
昼間の「カオサンぐうたら生活」にも、強烈なスパイスとなる出来事が続いている模様です。
“普通の日本人旅行者”を自負しているような筆者の周辺で、今度は何が起こっているのでしょうか!?

【日記/(匿名)】
【構成、注釈、写真/志賀健(GIA捜査官)】

【8月5日(水)】インド・フリークのトンデモ置き土産

宿のお隣さんであり、自他ともにインド・フリークを認めるM嬢が帰国した。
彼女はカオサン生活でもビンディ(額の真ん中に付ける赤い点)と濃い紫色のサリー・スタイル。
「サリーは痩せていると似合わないから、もっと太らないとダメなの!」と食欲も旺盛であり、先日タニヤ通りという日本人専用カラオケ店がひしめく繁華街にある回転寿司で、155センチほどの小さい身体なのに30皿をペロリと平らげた時は恐れ入った。
インドで半年間沈没していたらしく、その後カオサンに寄ってから実家のある大阪に戻って行ったが、帰国姿もサリーという彼女の徹底ぶりは脱帽ものだ。

彼女は使い残したインドの粉洗剤とインスタントコーヒーを譲ってくれた。
袋入りの粉洗剤は半分くらい、瓶入りのコーヒーは8割方残っていた。
洗剤までインド製に拘っていた事実には苦笑したが、紅茶大国インドでコーヒーを飲んでいたのかと思うと少々意外ではあった。

ところがこの置き土産、後ほど確認したら思わぬ“ブツ”が入っていた!
洗剤袋の中にはラップに包まれた“ペースト状のハシシ”、コーヒー瓶の中にはやはりラップに包まれた“マリファナ”が隠されてあったのだ。
道理で彼女は茶目っ気たっぷりの表情で「はい、プレゼント!」って言ったわけだ!
インドから持ち込んだのだろうが、タイでは麻薬の所持と吸引は大罪、税関で見つかったら即刻お縄なのに大した度胸だ。

洗剤

先日ゴーゴー嬢にマリファナを吸わされて大恥をかいたばかりであり、俺は元来そっちよりもアルコール好きなので彼女の置き土産は無用の長物。
さっそく彼女と仲の良かったK嬢にブツを引き取ってもらった。
K嬢は白人男性と婚約中であり、3日後にタオ島へ渡ってから婚約者と2人でダイバーショップ開店の為の準備をするという。
「うわ~ありがとう!“これ”があれば彼ともっとハッピーになれるわ!」
俺にとってはゴーゴー嬢の前でひっくり返ってしまった後悔の品だが、彼女たちには幸せの品なんだな。

そう言えば、深夜に隣のM嬢の部屋から女性同士の小さな嬌声が聞こえてきたことが何度かあった。
案外M嬢のお相手はK嬢だったのかもしれないな。
“これ”をやりながら、同好の女性同士が現実とは別の次元でひととき戯れる・・・いつも人懐っこい笑顔で話し相手になってくれた二人だが、所詮俺とは別の世界の住人だったのだろう。

【注釈】
ハシシやマリファナをコーヒーの中に入れておくと空港税関でバレないとバックパッカー友達から聞いたことがありますが、洗剤の中でもOKとは初耳でした。
ただし20年前のオハナシなので、絶対に真似しないで下さい。

【注釈】
ゴーゴー嬢にマリファナを吸わされた事件に関しては、第4回内「貰いタバコの罠!失態で終わったゴーゴーバー初連れ出し」参照。

【8月7日(金)】ロシアから来たビッチ

ハシシとマリファナを置いて行ったM嬢と入れ替わるタイミングで、美人のロシア人女性が入居してきた。
180センチを越えるボディにDカップが揺れる容姿はさながら白人のポルノ女優であり、その存在感は圧倒的!
愛想も大変良くて、あっという間に宿の日本人男性たちと仲良くなっていった。
しかし端から見ていると彼女の存在は日本人宿の中では明らかに不自然であり、何故ここに宿泊しているかが腑に落ちなかったが結論はすぐに出た。
彼女はそのナイスボディを武器にして、次々と日本人男性から金を巻き上げるビッチだった。
僅か3日間で、宿内の4人が彼女の甘い罠にかかった事があっさり発覚した!
彼女の旅の資金作りに日本人男性がまんまと利用されたと思うと、少々情けない気もする。

4人の話によると、セックス1回4,000~5,000バーツ!
タイバーツの持ち合わせがなくて日本円で多めに支払うと、喜んでもう1回OKだったという。
圧倒的なセックスアピール度に、日本人男性が一発で参ってしまうことを彼女は心得ているのだろう。

お金

こう言っては失礼だが、彼女を買った連中はバックパッカーの中でも割と小ぎれいであり、まだ旅慣れしていないようなタイプ。
つまり財布の紐が緩そうな男性ばかりがターゲットにされていた。
3日間で20,000バーツ(日本円で約70,000円)ばかりを荒稼ぎしてから、彼女は何処へと消えた。
この手の噂はすぐに宿内で広がるので、彼女の旅に長居は禁物なのだろう。
しかしファッションはパッカー・スタイルとはいえ、実は彼女はプロの売春婦だった様な気もする。

それにしても、日本人は夜の街で気前が良過ぎることは有名だが、まさか安宿内でも日本円が乱舞していたとは驚いた。
カモられた男たちのご感想は次の通りだ!

「大木にセミだったよ」
「デカイ声出されて興奮しちゃったから、あっさり終わっちゃった」
「5万円くれたら〇ナルもOKよって言ってた」
「2万円とられた。彼女は俺じゃなくて2万円にキスしてたよ」

【注釈】
当時のバンコクでもロシア人女性を買えるホテルやMPは僅かにありました。
彼女たちは自称ロシア人でしたが、その実は大半がウクライナ人。
スクンビットのアラブ人街内の連れ込み宿で3,500バーツ、ラチャダー通りとペッブリー通りの交差点近くにあった今は無きMP「ノア」でも3,500バーツ、ラチャダー通り奥のMP「ポセイドン」にも密かに在籍していて4,000バーツ。
現在と相場はさほど変わりがないですが、当時のタイ人女性の約倍額に相当したものです。
文中のロシア人女性が相場を知っていたのかは不明ですが、少なくとも4,000~5,000バーツをカモられた男性は、相場は関係なく白人女性自体の魅力にイチコロだったのでしょう。

【注釈】
当時はロシア人の平均年収は日本人の5分の1と言われており、まだロシアおよび旧ソ連圏内の国からのバックパッカーは少なく、お金持ちの団体客がアジア旅行を始めたばかりの時期でした。
ましてやロシア女性の一人旅は極めて稀でした。
彼女は何かしらの理由で、エージェント(バンコクでの売春斡旋業者)の目を誤魔化して、“職場”からカオサンへ単独出張してきたプロの売春婦だった可能性もなきにしもあらずでしょう。

カオサン

【8月9日(日)】インドシナ戦争時代の取材基地へ!?

二度目のタイ滞在期限が迫り、今度のビザランはラオスへ。
昼間はカオサンでグータラ、夜はゴーゴーバーやMP周遊という生活パターンにも飽きてきたので丁度いい気分転換だ。
ラオスは、日本に居ると情報など何一つ入ってこない国であり、カオサンでも「30年前で時間が止まってる」「葉っぱやり放題」程度の評判しか聞こえてこない国だ。
まあものは試しであり、探検隊になったつもりで行ってみることにした。

4年前に完成したばかりというタイ・ラオス友好橋を渡った直後、いきなりトラブルに遭遇。
ラオス側のイミグレを抜けてから一服していると、ビエンチャン直行のバスに置いてきぼりを喰らってしまった。
バスが去った後のイミグレ周囲はほぼ無人であり、気味が悪いほど静かだ。
外国の見知らぬ土地でこんな状態になれば多少動揺するものだが、自分でも意外なほど冷静だった。
「気にすることはない、何とかなるさ」
俺はタイの「マイペンライ気質」を既に会得したのかもしれない!?

日本・ラオス友好橋

車なんか一台もない駐車場の入口で2時間ほどぼんやりしていると、「ビアラオ」と書かれた荷台のトラックが目の前で泊まり、ドライバーの若者が声をかけてきた。
ラオス訛りの英語?だが、「こんな所で何をやっているんだ?」って感じに聞こえた。
「シメタ、何とかなるかもしれない」
ドライバーに一縷の望みをかけて「ビエンチャンに行きたいんだ。乗せてくれ」と頼んでみたところ、あっさり「カモン!」。
彼が基本的な英会話が出来たことは実に有難かった。

「ホテルはどこだ」
「決めてないよ。ビエンチャンのセンター(中心部)に行ってくれ」
「OK!]
「君は安いホテルは知っているか?」
「マイ・フレンドがやっているホテルがあるから、連れて行くよ」

街の中心部に行ってくれと伝えたはずだが、昭和30年代の日本の地方都市の、更にその郊外みたいな首都ビエンチャンの光景に我が目を疑った。
4~5階建てのビルがポツンポツンとあるだけで、あとはせいぜい2階建て。
道路は簡易舗装であり、何よりも首都であるはずの街の中心地に屋台が目立ち、立ち昇る煮炊きの煙の印象が強いほど人通りがまばらだ。
「これが一国の首都なのか」とまさにカルチャーショック!

ドライバーに案内された宿は、一歩踏み入れただけで中華系と分かるインテリアであり、ロビーには夥しい数の中国?の調度品が飾られている。
アヘンの香りでも漂ってきそうな妖しい雰囲気だが、迎えてくれた経営者夫婦は目の覚めるような中年の美男美女!
「愛の逃避行~遥かなるラオス」なんて映画を作ったら、主人公にキャスティングしたくなるようなカップルだった。
ご主人からは「日本人のお客様は久しぶり。ありがとうございます」とのお言葉を頂戴。
女将さんはドライバーに「お客を連れて来るなんて、アナタ、意外とやるわね」的なニュアンスのラオス語?をかけながら満面の笑みだ。
予想外のなごやかな雰囲気に気が緩み、ドライバーにチップ500バーツをあげたら驚喜の握手を求められた。
「君はいいヤツだ。ビアラオはアジア・ナンバーワン・ビールだから是非飲んでくれ!」

ビアラオ

さっそく女将さんが冷えたビアラオを運んできた。
タイのビールとは違う、正統的なラガービールの味がいい!
また女将さんが言うには、この宿は第三次インドシナ戦争時代に開店して、目と鼻の先にある「アジアン・パビリオン・ホテル」とともに、日本人ジャーナリストたちが取材の中継地として宿泊していたそうだ。
なかなか“味な伝統”のある宿ではないか!
入国早々に足を失ったものの、「何とかなるさ」と機を待った甲斐があったというものだ。

つづく

【注釈】
筆者の記憶を頼りに、私は過日ラオス滞在の際に文中の宿を探してみたところ、どうやら既に閉業していました。
アジアン・パビリオン・ホテルも閉業していました。
廃墟と化した建物の写真(上写真・右側)を筆者に見せたところ、「ここです!間違いないですよ」とのお言葉を頂戴しました!

【注釈】
ノンカーイ/ビエンチャン国境のラオス側イミグレ周辺は、現在は免税店や飲食店が立ち並んでいますが、当時は小さな飲食店が数件あるだけ。
わずかな免税品がその飲食店内で売られていました。旅行者もまばらであり、この国境を行き来する者の大半はタイとラオスの現地人たちでした。
ラオス入国手続きを済ますと、怪しいオジサンにいきなり「ハッパ、ハッパ」と声かけされた思い出もあります。

【注釈】
「ビアラオ」は1973年から製造/販売開始されたラオスの国民的ビールであり、2009年アメリカの「タイム」誌によって「アジアNo.1ビール」として紹介されました。
なお、ラオスにはもうひとつ「アジアNo.1」と称されるお酒「ラオ・ディ」(ラム酒)があります。

第6報「ラオスに美味しい高級ラム酒があった!『ラオディ』よ、今こそ雄々しく飛翔せよ!!」

【プロフィール】
志賀健(シガケン)
1972年神奈川県生まれ。
元高校球児でプロ志望も断念。
ロックンローラに転身するもまたも挫折してアセアン放浪の旅へ。
以後フリーライターで食い繋ぎ、現在アセアン沈没中の生粋の不届き者。
ミレニアム前後から、日本の音楽サイト、アセアンの日本語情報紙等へ投稿経歴あり。

[連載]GIA アセアン近代史調査報告書の最新記事

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