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第16回「好みだろうが合わない奴は合わないことを知った オーンという女」
投稿日 2018.09.19
目次
ナナプラザにはずっと縁がないオレ
バンコクのナイトライフにおける様々なジャンルの女性とつき合ってきたが、不思議とオレは「ナナプラザ」の女の子とは縁がなかった。
つき合えそうなところまではいったが、結局、交際にまで到った女の子はいない。
むしろ、最後までいった子だっていまだにたったひとりだけである。
その子の名前はオーンといった。
かなり顔はストライクゾーン直球ど真ん中でスタイルもよく、ナナで一番かわいいと思っていた女の子だった。
2003年の年末に一緒に過ごすことができたが、結果的にはそれだけの関係にしかなれずに終わる。
ナナの3階にあった「ハリウッド」という店
オーンはナナの3階にある「ハリウッド」で踊っていた。
今現在は「ビルボード」という店名になっている。
レイアウトのベースは今も変わらないが、今はバスタブになっている場所にもうひとつ回転しないステージがかつてはあり、イメージとしては回転ステージは花形が、回転しないステージは不人気嬢が踊るようになっていた。
「ビルボード」も白人に人気の店だが、「ハリウッド」も同様に、白人向けの店だった。
なにせ、店内のトイレの小便用便器が異様に高い位置にあって、足の短いオレなんかだとつま先で立たないと先っぽが便器についてしまうような、アジア人無視の設計だった。
「ハリウッド」は2003年前後は「ビルボード」に比べてやや垢抜けない雰囲気があり、店内のテレビ画面では無修正の欧米ポルノが流れ続けていた。
さらにその前の2000年のころはさらに下品な店だった。
2003年の時点で裸のダンスはなかったと思う。
2000年前後は裸はもちろん、ときどき、いわゆる「ピンポンショー」があった。
吹き矢で風船を割ったり、女性器に金魚を入れて出したりなど、ソイ・カウボーイ並みのことをやっている店で、場末感は半端なかった。
だから日本人が寄りつかなかったのかもしれない。
2003年の年末についにオーンと話せたが・・・・・・
オーンを初めて見かけたのは2003年の始め、あるいは2002年後半だったかもしれない。
以前から「ハリウッド」には何度も行ったことがあり、オーンの存在は知っていた。
オーンは身長的には155cmあるかないかの小柄な子だったが、ほどよく肉づきがあり、ステージで踊っているときの照明でボディが艶めかしく見えた。
腰のくびれ、引き締まった肉のつき具合、ほどよい太さの長い脚。
なにもかもが満点で、顔も目が細いが愛嬌のある感じで、オレの好みにドンピシャだった。
基本的に当時のオレは女の子にドリンクを奢ったりはしない主義だったので、いいなと思ってもただ見ているだけだった。
遠くから見るだけのオーン。
店も白人向けなので、日本人には見向きもしないようだったし、クールな顔でいつもいたから、オレなんかに興味はないだろうなという諦めもあったと思う。
そんな2003年の年末に近い日だった。
当時オレはクソみたいな無料誌の編集部で働いていて、タイ人以下の給料で働いていたころだ。
それでも年末年始休暇の前に3,000バーツ程度のボーナスが出た。
今でこそ3,000バーツなんてちょっと居酒屋に行けば吹っ飛んでしまう金額だが、給料が少なかったこともあるし、当時の在住日本人は企業駐在員や会社経営者以外は普通に毎日タイ料理を食べていたので、充分な金額だ。
オレもいつもは友人らとイサーン料理屋台で「センソン」などの安いウィスキー(実際はラム酒だが)を傾けていた。
だから、3,000バーツは降って湧いた大金で、ゴーゴーで飲み、ラチャダーの人気ディスコ「ダンスフィーバー」で豪遊できると勇んで出かけたことを憶えている。
そのときに入ったのが「ハリウッド」で、年末間近(たぶん12月29日の夜)だったこともあって客がほとんどいなかったからか、なんとオーンからオレに話しかけてきた。
こんなラッキーなことがあるものだろうか。
ただ、何度も見かけて興味があったことを伝えたけれど、オーンはオレの存在をまったく知らなかったようであるが。
まるで運命のように一緒に夜を過ごした
そうして数杯飲んで、珍しくオーンに奢って話をした。
それから一緒にいた友人と「ダンスフィーバー」へと移動しようというとき、オーンも一緒に行きたいと言った。
ここはちょっと憶えていないのだが、たぶんペイバー代は払ってあげたような気がする。
「ダンスフィーバー」は外のタバコ売りから無料カードをもらえば、ウィスキーはどれだけ飲んでも無料だ。
ミキサーのセットも500バーツでテーブルいっぱいになる。だから、食事が屋台でひとり頭300バーツとして、ペイバー代を払ってもボーナス3000バーツで充分に遊べる計算になる。もちろん当時のオレは女の子とのベッドインで金を払う気は毛頭ないので、そこは計算に入れていない。
オーンはこれまで遠くから見ていたときはクールな子だと思っていたが、話してみるとケラケラとよく笑う明るい女の子だった。
ディスコでもよく踊っていたし、むちゃくちゃ楽しかった。
当時オレが26歳くらい。
彼女は19歳か20歳か。
とてもいい子で、オレは一瞬で好きになってしまった。
当時はタイ語を話せる日本人が少なかった。
だから、オーンもタイ語で話せて気が楽だったのだろう。
その夜はオレのアパートに泊まり、昼頃に帰っていった。
オーンからも金銭の要求はなく、このままつき合えるのではないかと思った。
むしろ当日のオレはつき合っているとさえ思っていたことだろう。
この直前にオレはスという女の子に出て行かれて傷心していた(当連載の第12回参照)。
そこに新たに出会ったオーン。
一緒になれると信じたことは想像に難くない。
オーンは昼に自宅に帰り、仕事が終わったらまた来ると言った。
そして深夜、本当にオレの部屋に戻ってきた。
29日、30日と二夜連続でオレはオーンと一緒になった。
これは運命だ。
オレはそのころ結婚願望があったので、結婚してもいいと思った。
たった2日間で学んだことは多かった
自分の好みにぴったりで、性格もいい。
職業に難があるけれども、辞めてもらえばいいだけだ。
結婚できる。
そう思ったが、会話の中でオーンは中国人の彼氏がいることがわかった。
また、オーンの母親は常にオーンに金の無心をしており、さらにはシンソートは100万バーツと言っているということを知ってしまった。
シンソートは「結納金」のことで、男性が女性に払う。
タイは「歩く」と「9」が同じ発音であることから縁起を担いで9がつく数字を挙げる。
例えばハイパー富裕層なら999万バーツなどで、一般庶民は大体2万9,999バーツ、あるいは3万9,999バーツというのが多い。
最近はシンソートは結婚式の見せ金で、式後は新郎に返却されてふたりのために使いなさいというケースが多い。
しかし、そんな中で100万って・・・・・・。
絶対に返す気もないし、ヤバい親だということは間違いない。
タイの結婚は外野に注意しなければならないと常々思ってきたが、ここで確信してしまった。
オーンもなにか感じるところがあったのか、結局その12月31日の昼間に別れてから一切連絡が取れなくなった。
その直後――4日後くらいにオレは今の妻(当連載第13回参照)に出会っているので「ハリウッド」にも行かなくなったから、本当にそれっきりだった。
ちなみにオーンの出身地はナコンラチャシマー県。
妻と同じ県で、正直、スが消えたこと、オーンもふらっといなくなってしまったことも合わせて、すべてが妻との出会いにオレの運命がセットアップされていったのかと思う。
それにしても、結局のところ、結婚や交際は自分が願ったところでどうしようもないのだと痛感した。
合わない奴はどんなことをしても合わないのだ。
人間関係も相性が悪い人とはつき合う必要がないのはもちろん、互いに離れていく関係は修復する努力をしてもムダなんだと知ることができた。
たった2日間の恋だけど、オレは多くを学んだ。
【プロフィール】
高田胤臣(たかだたねおみ)
1977年東京都出身のタイ在住ライター。
1998年初訪タイから2006年に結婚するまでにゴーゴー嬢、タニヤ嬢、マッサージ嬢など夜の女の子と一通りつきあい、タイの低所得者層から中流層の生活を垣間見てきた。
著書に「バンコク 裏の歩き方」や「東南アジア 裏の歩き方」など彩図社の裏の歩き方シリーズ関連、Amazon Kindleの電子書籍など。
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