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- [連載]タイの考察 〜オンナとタカダと、時々、チョメチョメ〜
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第18回「人生最大のピンチが来た!? ヌットという女 (前編)」
投稿日 2018.10.18
ただのデブ中年であるオレだが、モテた時代もあった。
パッポン通りがまだ全盛期で、「キングス1」の右隣「キングス・キャメロット」が一番のゴーゴーだったころのことだ。
あるとき、「キャメロット」のノングという女の子に言い寄られたが特に興味はなく、ほかに言い寄ってきたヌットといい仲になった。
ふたりとも同い年で、当時18歳だったかそれ以下だったか。
同じウボンラチャタニ―県出身、同じ村から来ていた。
つまり、ふたりは親友同士で、ヌットは隠れてオレに近づいてきたわけだ。
普通に考えて「いい子」なわけがないのだが、顔的にはヌットの方がたぬき系の顔立ちでかわいくて、またノングはどちらかというと雰囲気がクールな子だったから、愛嬌のあるヌットにずるずると流されていったのだった。そして、人生最大のピンチが訪れてしまう。
最初からトラブルの臭いしかしない・・・・・・
こんな関係であるので、トラブルが起こらないわけがない。
ある日の夕方、ヌットは「今日は仕事に行きたくない」と言い出したので、スリウォン通りのソイ・タンタワンの屋台で食事をした。
タイ語学校時代はそのソイの「らあめん亭」の上に住んでいて、勝手知ったる場所でもある。
屋台はイサーン料理(タイ東北地方料理)の店で、ものすごく辛いのだがおいしくて人気があった。
今はもう別の人がやっていて、当時の主人はサメット島に引っ越してしまっている。
今だと「大枡(だいます)」の向かいになる。
あのころは「泰平」という和食店と白人向けのバーがあるだけで、そんなところには目もくれず、いつもその屋台で食事をしていたものだ。
ソイ・タンタワンは今もゴーゴーボーイズやゲイバーがソイの入り口から「鳥波多゛(とりはだ)」と「コカレストラン」本店の間にかけてあるが、当時はもっとたくさん怪しいゲイバーがあった。
当時は今のゴーゴーボーイズの聖地であるソイ・トワイライト(ソイ・プラトゥチャイ)よりもゴーゴーボーイズが繁盛していたと記憶する。
そんなソイの屋台でヌットと向き合って食事をしていると、ゴーゴーボーイズに出たり入ったりするノングと「キャメロット」の仲よし組が見えた。
オレは普通に声をかけようと思ったが、それをヌットが制した。
「今日はふたりで一緒にいたいの」
そんなことを言う。
オレはゴーゴーボーイズには興味がないので、ノングに声をかけたってついていくわけでもないのだからいいのに、と思いつつもヌットに従った。
食後、特にすることもないし、当時オレは定住先がなくヌットを連れて帰る場所もない。
ヌットも若いので特に遊ぶ場所を知らなかった。
当時はあんな時代であってもディスコはわりと年齢制限が厳しく、ヌットは入ることができない。
そもそもその時間にディスコもなにもないのだけれども。
それで、ふたりはパッポンの寂れたゴーゴー「タイバー」に行った。
特に話すこともなくヌットと飲んでいると、「タイバー」の入り口から大股で入ってくるノングが見えた。
誰かがヌットとこの店に入るオレを見てノングに告げ口をしたのかもしれない。
あのころのゴーゴー嬢のネットワークはものすごく強固で、SNSなんて存在していなかったし、メールを使う女の子もめったにいなかったが、光通信よりも早く、関係する男の浮気などは告げ口され、現場襲撃されたものだ。
しかし、オレは特にノングとはつき合っているとも思っていなかったし、実際に身体の関係もヌットだけで、ノングとはなかった。
だから、大股で入ってくるのが見えたときも特になにも思っていなかったが、ノングがオレの前に仁王立ちし、明らかに睨んでいる目でオレを見下ろしていたことに「これ、ヌットにハメられている、オレ」とさすがに気がついた。
およそ1分ほどノングはオレを無言で睨み、ヌットは下を向いたまま。
そこにキャメロット仲よし組が来てノングを引き離し、去っていった。
当然、オレはヌットにどういうことか問いただす。
すると、実はその日はノングの誕生日で、ノングはオレと一緒に過ごすことを自慢していた、と言うではないか。
あとにも先にも「ヤバいことしてくれたな感」をほかに感じたことはない。
つき合っているつもりはなかったし、ノングからはなんの連絡もなかったからいずれにしたってオレにはどうすることもできなかったが、さすがに誕生日にこれをやっちゃうかね。
ヌット、ヤバすぎる。
そう思い、オレはかなり引いてしまった。
なにが問題なのか言ってくれないから
その後もヌットはいろいろなことをやらかしてくれる。
当時はビザの発給がゆるゆるで、観光ビザは何回でもダブル取得ができたし、そもそも観光ビザを持たない長期滞在者も多くいた。
その大半の人が30日ごと、あるいは90日ごとにカンボジアとの国境であるアランヤプラテートに日帰り旅行をしていた。
ある日オレもそれに行くことになったわけだが、ヌットがついてきてしまう。
別に来るだけならいいのだが、なぜオレがバス代を出す必要があるのか。
それから、当然ヌットはタイ側で待っていなければならないわけだが、カンボジアの入国スタンプを押してもらったところで外に出たら、ヌットが立っていた。
あのころのアランヤの国境ゲートはカンボジアの子ども物乞いがたくさんいたが、バンコクのようにビジネス的なものではなく、本気の物乞いだったので水でも食べかけの食べものでももらえるものはもらうくらい、目つきがすごかった。
それにヌットはビビってしまいオレを追いかけてきたのだが、国境を越えるなという話である。
ヌットは親友の恋路を邪魔するような女だったので、逆にオレの友人にも手を出しまくっていた。
友人と言ってもカオサンの同宿の連中だし、オレも当連載10回目までに紹介し尽くした本当につき合っていると思っていた女の子がほかにもいたわけで、別にヌットが誰とどうこうしようが気にもしていなかった。
オレは金が尽き、バンコクを離れて一度岡山県に行ってバイトをした。
7ヶ月ほど倉敷で生活し、その間、メールでヌットと連絡を取り合っていた。
そのときにヌットは何度も「プロブレム」があると送ってくるものの、何度訊いてもなにが問題なのかは明かしてくれない。
そうして岡山のバイト生活を終え、オレはバンコクに戻って来たのだが、「キャメロット」にはヌットの姿がなかった。
ノングや仲よし組はまだいて、ニヤニヤしながら話しかけてきた。
「そっくりだねえ。間違いないよ」
ノングやその取り巻きはみんなそう言っていた。
最初はなんの話かわからなかったが、よくよく聞けば、ヌットは妊娠して、田舎で出産したのだという。
立派な男の子だと。
そうか、それが問題か、とやっと判明したわけだが、それってどう考えてもオレにも問題だった。
当時結婚なんて考えていないし、まさかヌットなんかと一緒になる気はさらさらない。
人生最大のピンチがやってきてしまった。
【プロフィール】
高田胤臣(たかだたねおみ)
1977年東京都出身のタイ在住ライター。
1998年初訪タイから2006年に結婚するまでにゴーゴー嬢、タニヤ嬢、マッサージ嬢など夜の女の子と一通りつきあい、タイの低所得者層から中流層の生活を垣間見てきた。
著書に「バンコク 裏の歩き方」や「東南アジア 裏の歩き方」など彩図社の裏の歩き方シリーズ関連、Amazon Kindleの電子書籍など。
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