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- [連載]タイの考察 〜オンナとタカダと、時々、チョメチョメ〜
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第3回「タイ人の日常生活を初めて垣間見た ワンという女 (後編)」
投稿日 2017.09.27
ワンという女性を通して、ガイドブックでは知ることのできないタイ人の一面を見た前編。
後編はいかに!
前編はコチラ。
別れてから戻っても受け入れてくれる優しいワン
2001年に入ってからワンの部屋に入り浸っていたが、このころに第1回目に登場したプラーンとも知り合っている。
ワンは当初あまりオレには興味がないようなそぶりだった。
ゴーゴーの女性とはいえ、積極的に男性に自分をアピールする子は当時はまだそれほど多くなかったのだが、ゴーゴー慣れしていなかったオレには知るよしもない。
それで、ワンとは会わなくなり、プラーンと暮らし始めた。
それから散々な目に遭って一度日本に帰り、数ヶ月して再びバンコクに戻った。
会わせる顔なんてオレにはなかったが、友人に誘われて「ティーラック」に行くと、ワンは意外とすんなりと受け入れてくれた。行くところがないと話すと、ワンはソイ22のあのアパートに連れて行ってくれた。
ただ、そのときは日本人のパトロンがいたらしく、同じ時期にその日本人が来ることになってしまったということで、数日間、カオサンに行く。
「ママズ・ゲストハウス」だった。
この間にチェンマイに行ったり、次回紹介するタニヤの女と知り合ったりと、今自分で思い返してもろくでもない男だったのは認める。
タニヤの子が熱烈で、なんだかんだで冷たいワンと比べ、オレはまたしてもワンの家を出る。
そして、タニヤの子の自宅に転がり込んだ。
カオサンにいる間にワンはパトロンと別れてくれたのに、だ。
日本滞在を半年程度挟んだ上でタニヤ嬢ともすったもんだがあり、最終的にまた行くところがないとワンに電話をした。
3度目のウアアモーンスック。ここからいよいよワンとオレの破局へと運命は動き出していく。
2002年11月前後だった。
殺されかけることもしばしばで・・・・・・
さすがに3回目のワンはこれまでとは違った。
まあ、信用されない。
当たり前だ。
まったくワンの元で定着しないからだ。
ケンカもしょっちゅうだった。
日本にはもう帰らないと覚悟をを決めたあとだったので、金はあるができるだけ使いたくないし、遊んでばかりいるわけにはいかない。
だから、日本語学校で講師のバイトをしたり、それ以外は基本的にはワンの家にいた。
夕方はワンの出勤に合わせてソイ・カウボーイに行き、ワンと店の従業員たちと屋台で食事を摂りながら軽くビールを飲む。
そうやって、家にいるときのワンは嬉しそうで、優しかった。
しかし、オレにもつき合いがあるし、たまに友人らと飲みに行くこともある。
そのときのワンの怒りよう。
ある日は怒りに任せて包丁を持ったワンにウアアモーンスックの廊下を追い回された。
高層アパートのかなり上の方だったので、タイ史上、タイ女性に殺されかけた日本人男の高度としてはトップ10に入るのではないかと今でも思う。
またある日は、顔はにこやかに、しかし怒気を含んだ声でオレをなじるワンの手にはCDがあった。
オレを責め立てながら、CDケースを開けている。
もうこれは投げられるに違いない。
ワンの手の内はオレにはわかっている。
案の定、次の瞬間にCDの円盤はオレに向かって放たれた。
甘い!
オレはすぐさま避けた。
ところが、甘かったのはオレだった。
避ける方向をワンは見切っていて、すでにCDケースが放たれている。ケースの角が眉間に当たる。
これは勝てないと思った。
ただ、こんなしょうもないオレだったけれども、このワン第3期には浮気みたいなことは一切なかった。
飲みには行っていたし、女の子と電話番号を交換することはあっても、ベッドインということはなかった。
それなのに大きな誤解が発生し、とんでもないことになった。
誤解でワンがさらに怒り狂い・・・・・・
2002年も12月に入るか入らないかのころだった。
ウアアモーンスックは人気のアパートだったこともあっていつも満室状態。
11月半ばにやっと空きが出た。
ただ、外国人名義では入居できなかったため、ワンの名前で部屋を借りた。
そのころ、タニヤでは「スター21」というスナックが大人気だった。
当時の女性スタッフはなかなかの粒ぞろい。
たまたま知り合いとそこのママさんが顔見知りだったこともあってよく連れていってもらい、オレも何人かと電話番号を交換していた。
ある日、深夜にタニヤを歩いていたらスター21の女の子と遭遇した。
誕生日なのに祝ってくれる人がいないと泣くので飯を奢り、ビールも飲んだ。
ところが彼女はわざとなのか本当なのか、泥酔してしまう。
オレの部屋に行く口実だったのかもしれない。
気があるようなことを言われていたがオレは興味がなかった。
ワンは気まぐれにオレの部屋に来るが、基本的に一緒に寝ることはなかった。
そのときは田舎から妹が来ていたのでほとんど会ってもいなかった。
しかし、こういうときに限って部屋に来るわけだ。
スター21の子の家は知らないし、ほかの子に電話しても誰も出なかったので仕方なく自宅に連れて行き、ベッドに寝かしたところにワンが入ってきた。
当然、ワンは激怒する。
ただ、オレはやましいことはしていないし、堂々と状況を説明すると、ワンは納得して帰っていった。
ところが、これで終わらなかった。
タイ生活最大の屈辱となる出来事
翌日の夕方、ワンから電話があった。
エカマイのメジャーで友だちとボーリングをしているから来いという。
到着すると、電話をしてきたとき以上にワンは酔っている。
そして、女を部屋に連れ込んでいたことをなじる。
ビンタやキックも出てきたので、オレは逃げるようにアパートに戻った。
数十分後、ワンはオレを追うように部屋に現れ、出て行けと叫んだ。
何度も出奔しながら言える分際ではないが、ワンから出て行けと言ってきたことに驚いた。
しかし、名義はアンタにはないと騒がれ、最終的に「ティーラック」の賄賂徴収などをしているであろう下っ端警官を呼ばれ、本当に追放されてしまった。
このとき、今でもオレはなぜだかわからないけれど、扇風機と洗濯ダライを持って部屋を去った。
行く当てがないので、カオサンのママズに戻った。
当然ながら、ママズに着いたとき、知り合いの日本人沈没者たちは大爆笑だった。
今これを書いている現在でも、タイ生活の中でこれほど恥ずかしかったことはない。
今もティーラックで働く当時の知り合いに聞いたところでは、ワンはロイエットに戻り、結婚して子どももいるのだとか。
ワンはわりと額が広く魚系の顔をしていた。
思い返すとウルトラマンみたいな顔だった。
仏の顔も三度まで、とあるが、ウルトラマンはタイの仏像をモチーフにしているともされるわけで・・・・・・。
【プロフィール】
高田胤臣(たかだたねおみ)
1977年東京都出身のタイ在住ライター。
1998年初訪タイから2006年に結婚するまでにゴーゴー嬢、タニヤ嬢、マッサージ嬢など夜の女の子と一通りつきあい、タイの低所得者層から中流層の生活を垣間見てきた。
著書に「バンコク 裏の歩き方」や「東南アジア 裏の歩き方」など彩図社の裏の歩き方シリーズ関連、Amazon Kindleの電子書籍など。
2 件のコメント
今回も楽しく読ませてもらいました、バンコクで沈没してた頃をフラッシュバックしました。
今はフィリピンで沈没してます(^^)
次回も楽しみにしています。
フィリピンからありがとうございます!
高田氏にも伝えておきます!