第1回「タイを知るにはタイ語は必須? プラーンという女」

投稿日 2017.07.25

かつてGダイアリーが紙媒体だったころはよく特集記事を任せていただいた高田胤臣です。
今回、営業から編集長に成り上がり、ウェブが中心に切り盛りするソリマチヲ氏と打ち合わせのチャンスがあり、連載を書かせてもらう算段となった。
しかも、内容はオレの女遍歴を晒しつつ、タイの風俗嬢を通してタイやタイ人のホントの部分はどうなんだろうと考察するものになる。
下ネタだし、マジメでもあり。

タイ語ができるようになったきっかけの女

プロフィール上は2002年からバンコク在住だが、一度2000年7月から1年間、タイ語留学も経験している。
そのころに知り合ったのがパッポンのプラーンという女だった。
これがクセ者中のクセ者。
とんでもない目に遭った。

ゴーゴー嬢は表と裏が全然違うこともあるが、素朴な田舎娘であることも多い。

プラーンはキングス・グループの「キャメロット」で働いていた。
今でこそビアバーになってしまったが、当時はグループ内では「キングス2」と1、2を争う人気店だった。
彼女はそこでママさんをしていると言った。
当時21歳だった。
若いのにがんばっているなと思ったが、これがまったくのウソだった。

無意味なウソや突拍子もない行動にオレは本当に衰弱するくらい振り回されることになった。
そして、それに対抗するために自分の意見を言うということが何百何千回と繰り返され、口論では負けないくらいのタイ語を身につけることができた。

プラーンが言っていたウソ八百の一覧

プラーンはシャチが呼吸するのと同じくらいのペース(4~10分らしい)でウソを吐くので、憶えている限りではこんなものがあった。

「ママさんだから売りはしないの」

ただのPR(呼び込み)だから。
ある日一晩でドリンク100杯をゲット! と2,000バーツを見せてきた。
21時から閉店までいた場合、3分に1杯のペースで奢ってもらっていることになる。
無理無理。これ、絶対身体売っているじゃない?

「子どもを流産したことがあるの」

とシクシク泣いていたことも。
のちに発覚したのは日本人との間に子どもが2人もいたし、ちゃんと子どもと一緒に暮らしていた。

「私カンボジア人だから…」

というのもよく言っていた。
シーサケット県出身なので、確かにカンボジア国境に近いところの出身だが、無理がある。
家族や親戚がみんなタイ国籍を持ち、タイ語を話すのに、だ。
外国人のオレによく国籍の話を持ち出せたなと思う。
こっちの方が詳しいに決まっているのに。

彼女は国籍を金で買ったためにIDカードの年齢が27歳になっているとか。
実際にそうだとしたら、当時11年ほどパッポンで働いているとか言ってたので、10歳から?
そんな児童売買春的なことは当時だって公にあるとは思えない。

闘うためにオレはタイ語を身につけた!?

交際が2ヶ月3ヶ月となるにつれ暴力を振るってきたり、いろいろなウソで振り回され、疲弊してきたときに妊娠したと言われた。
アンタはがんばって日本で働いてとのたまう。
日本に帰らせ、頃合いを見て本当のプラーンの子どもをオレの子だと見せるつもりだったのではないかと思う。
そんなことが通じると思うところが逆にすごい。

反論したり、言い返したりすることが10分に一度はあり、2ヶ月もしたらオレのタイ語レベルがタイ語学校で習う以上のものになっていた。

また、当時わざとまったく英語ができないフリをしていたことで彼女は油断してほかの客と携帯で話したりしていたことで、売りをしていることもわかっていた。

そして、ちょうど金もなくなったことでタイ語学校も切り上げ、帰国することになった。
2001年7月くらいだった。

オープン前の店にも当時は彼氏特権で入れたもので、数々のゴーゴー嬢裏事情を見ることができた。

余命半年のガンを豊胸手術で乗り越えた彼女

日本にいる間に何度か携帯電話にプラーンから連絡があった。

「実は流産してしまい、検診を受けたらガンが見つかった。もう半年も生きられない身体で早急に手術をしなければならないって! 3万バーツ送って!」

と泣いていた。
オレは冷静に「妊娠してなかったのに検診?」と返した。
すると、私は愛されていないとまた泣く。
そのときだった。
電話の向こうで囁くような声がした。
直感で外国人男性と一緒にいると感じた。
オレとプラーンはタイ語だからなにを話しているかわからない。
なるほどねと思った。
電話は切れた。

少しバイトをして3ヶ月後にタイに戻った。
プラーンはうちで暮らせと言い、ついでに早々に金の指輪を買えとも言った。
断った。
すると

「ちょうどよかった。うちは外国人が入れないアパートだから」

と言った。
来いって今言ってたのに?

ひとつ気になったことがある。
彼女が豊満になっていた。

「胸、大きくなっているよね?」

「医者に、もう余命いくばくもないから好きなことをしろって言われたから」

いくらかかったのか聞いたら3万バーツだった。
手術できるじゃねえか。

これはダメだと、カオサンに逃げた。
それっきり、しばらくはなんの音沙汰もなかった。

トドメの出来事がカオサンで起こるとは

あっさり別れられてよかったと、オレはカオサンのドミトリーでほくそ笑んでいた。
そのとき、隣のベッドにいた日本人コーヘイくんがほかの人と話している内容が気になった。
聞けば聞くほどプラーンのことを言っているようだった。
オレはカクカクシカジカと話した。
最初はショックを受けていたようだが、彼にも心当たりがあったようだ。
ウケるのは彼のこんな発言だ。

「でも、まあ彼女も17歳ですから、そういうウソも吐いてしまうかもしれませんよ」

いや、27歳だし。
オレの6歳よりももっとサバ読んでいるのか。
すげえな、プラーン。
さらに聞けば、日本での電話でプラーンの隣で囁いていたのもコーヘイくんだと判明した。

そしてコーヘイくんが妙案を思いつき、我々は連れだって出かけた。
パッポンだ。
オレとコーヘイくんは手を繋いでキャメロットに入った。
プラーンは我々を見て仰天し、全速力で店外へと走って逃げていった。
これでオレの溜飲が下がったのかもしれない。
今はプラーンになんの恨みもない。

なんでか腐れ縁は続いていく……

という話で終わるといいのだが、実は今もまだこの腐れ縁は終わっていない。
彼女はまだパッポンにいる。
オレの3歳年上なので、今や43歳。
彼女はオレと別れたあと、タイ人と交際し、一時期は自分のバーを持つまでに成功した。
しかし、再び落ちぶれ、刑務所に入ったこともある。
プラーンはそのたびに復活をする。

今やでっぷりとおばさん体型になったプラーン。

とにかく本当を知るために、オレは必死になってタイ語でくらいついた。
この経験によってビジネスレベルのタイ語もこなせる今がある。
そんなに感謝はしていないけれど、結果的には彼女とつきあってよかったのかもしれない。
言語は語学ではなくツールであるということを身をもって体験した期間だった。

【プロフィール】
高田胤臣(たかだたねおみ)
1977年東京都出身のタイ在住ライター。
1998年初訪タイから2006年に結婚するまでにゴーゴー嬢、タニヤ嬢、マッサージ嬢など夜の女の子と一通りつきあい、タイの低所得者層から中流層の生活を垣間見てきた。
著書に「バンコク 裏の歩き方」や「東南アジア 裏の歩き方」など彩図社の裏の歩き方シリーズ関連、Amazon Kindleの電子書籍など。

バンコク 裏の歩き方 [2017-18年度版]

バンコク 裏の歩き方 [2017-18年度版]

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4 件のコメント

  • 関 ユーイチロー より:

    自分と同じ部分が非常に多く、楽しい記事です。
    次回の連載も楽しみにしています。

    • Gダイアリー編集部 より:

      ありがとうございます!
      次回もご期待ください。

  • ユーイチ より:

    ユーイチと申します。
    高橋さんの文章を拝見しまして、一昔前の出来事を懐かしく思い出しました。おかげで少し長い文章になってしまいましたことお許し下さい。

    実は文中のプラーンという女性と一定期間ではありますが、知り合いと言いますか、まあ、関わりがありました。
    ご記載のプロフィールや対話のやりとりから判断するに99.9%、私の知るプラーンと一致していると思います。

    もうかれこれ23~24年も前でしょうか。
    当時、学生だった私はバックパッカーから崩れて、大学を休み、そのままバンコクへという王道パターンでその時の敵娼がプラーンでした。

    大学卒業後、今から10年以上も前に仕事で2度ほどタイに行きましたが、それ以来、渡タイの機会なく20年以上経った今、たまにタイ関係のルポを読んでは共感しながら昔を懐かしんでいる次第です。
    その中で偶然、高橋さんの記事であのプラーンに関する文章を目にし突然、当時のことがフラッシュバックされました。

    私は高橋さんが記載されておられる様なプラーンからの「シャチの呼吸と同じペース」ほどのウソ攻撃に合った記憶はあまり無いのですが(当時、自分はかなりノボせておりましたので、ひょっとしたらマヒしていたかもしれませんが)、今思い起こすとタイ語を覚えることができた、タイのディープな文化の一端に触れられたなど、いろいろとプラーンという女性には重要な勉強をさせて貰ったのは事実です。

    さすがに日本人との間に2人の子供(!)、刑務所(!!)、そして豊胸(??)と、彼女のその後日を聞いてはびっくりすることばかりですが「プラーンはそのたびに復活をする」と高橋さんが記載されておられる様に、今もたくましくやってるんだなあ、と大いに安堵したのと同時に、あの時の小柄でかわいらしかった彼女ももう40過ぎの母親なのかと時の流れを実感せざるを得ません。

    以上、もしかするとご不快に感じられる点が幾つかあったかもしれませんが20年以上も前のことですし、勝手ながら高橋さんの文面からも思い出話的なにおいを感じましたので、それに乗っかるかたちで投稿させて頂いた次第です。もしご不快でしたらスルーして下さい。。

    プロフィール拝見しましたが高橋さんとはほぼ同世代、しかも「共通の知人」を持つということで今後とも文章を愛読させて頂きます。
    もう恐らくタイに行く機会は無いかもしれませんが、今後も高橋さんの文章でタイの雰囲気だけでも楽しませて頂きたいと思っております。

    - 追伸 -
    プラーンと「腐れ縁」を続けておられるということで、何かのノリで“ユーイチ”という日本人覚えているか?とビールのつまみがわりにでも本人に聞いて頂けませんでしょうか。私もその返事をビールのつまみにしたいですので。。
    「さあ、誰?」というならば、当時の私のご奉公が足りなかったのでしょう。
    「覚えている」とのことならば、あの時、幾ばくかの授業料を払った甲斐があったなあ、とありがたく思うことにします。。。

  • ユーイチ より:

    高田様
    申し訳ございません。
    先ほどコメントを送付させていただいたものです。
    お名前を間違えておりました。
    重大な誤りで申し訳ございません。

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