第2回「タイ人の日常生活を初めて垣間見た ワンという女 (前編)」

投稿日 2017.08.29

高田-連載

初めてつき合ったのはソイ・カウボーイのウェイトレス

前回のエピソードに登場したプラーンは、オレにとってはふたりめのタイ人彼女だった。

第1回「タイを知るにはタイ語は必須? プラーンという女」

最初につき合ったのはワンという、ソイ・カウボーイの「ティーラック」に勤めるウェイトレスの女である。

それまで、オレにとってゴーゴーバーというのはあまり楽しい場所ではなかった。
ひとりで軽くビールを飲みに行くくらいで、買春をするわけでもなく、店で女の子と話すわけでもなく。
ただ、1杯飲んで帰るだけでつまらないわけではないが、別に楽しくもなかった。
2000年の11月ごろから当時通っていたタイ語学校の日本人たちと学校のクリスマスパーティーにおける日本人グループの出し物の勉強と称し、何度かティーラックに行って騒いでいたことでゴーゴーのおもしろさを知った。
たくさん奢ってあげれば、相手もノリよく遊んでくれるということだ。

そのときに知り合ったのがワンという子だった。
当時オレが23くらいで、彼女が20歳くらいだった。
どちらかというと太っている感じだったけれど、張りのあるデブちゃんといった体型だった。

高田-連載-タイ人女性

ワンとの写真は1枚もないが、イメージはこの女性を少し太らせた感じ。

当時のティーラックは内装は古ぼけていて、もっと場末な雰囲気を醸し、客なんてほとんどいなかった。
我々はそれをいいことに大騒ぎ。
大声出すし、ステージに上がる、気に入った女の子をステージから引きずり下ろしてお姫様抱っこで席に連れ帰るとやりたい放題。
のちにワンに聞いたところ「バカが来た」と店中の人が言っていたとか。
それでも客の来ない店においては上客で、ママさんも黙認してくれていた。

高田-連載-ゴーゴーバー-ティーラック

今はきれいなバーだか、改装前の当時は古ぼけていて薄暗く、その代わり居心地はよかった。

知らないバンコクの夜がそこにあった

ワンとは最初はただ店で飲んでいるくらいだったのが、そのうち閉店後のディスコ遊びなどに連れて行かれるようになった。
当時はちょっと郊外に行けば大型ディスコが朝までやっていた。
たぶんシーナカリンかウドムスック、バンナーの辺りだったと思う。
また、ラチャダー通りのホワイクワンの裏手にも民家を改装したバーがあった。
ソイ・カウボーイに最も近い深夜スポットはペッブリーとの交差点で、当時カオトム食堂(おかゆと総菜の食堂)があり、その上が明け方まで営業しているカラオケ店だった。

オレはタイ語学校に通い始めたときは日本人女性と一緒に暮らしていた。
東京の渋谷にあったタイ料理店でバイトをしていたときに知り合い、お互いタイ好きで一緒にタイ語留学に来たものの生活習慣などが合わず、ワンと知り合うころには破綻していた。
それで、あとは彼女が引っ越しする先を見つけて出て行く段階にあり、オレは自由に遊べていた。

そんなこともあり、タイ好きでタイ語も一生懸命勉強していたけれど、タイ人との交流はあまりなく、タイ人の日常生活を見るのはこれが初めてだった。
タイの若い人が深夜にモグリ営業をしている店にこうやって遊びに行くと知ることができたりするので、ワンに引っ張り回されるのが楽しくて仕方がなかった。

タイ人女性との交際は金がかからない?

ワンがオレを連れ回していたのは気に入ってくれていたからだと思う。
どこに飲みに行ってもせいぜい割り勘で出させるか、あとはワンが出してくれるなどで、オレ自身はほとんど金を遣っていない。

のちにつき合うタイ人女性すべてに共通していたのは、本当に好きな相手に対しては金銭的な要求は一切しないということだ。
もちろん婚姻関係を結べば生活費などいろいろな支払いの請求はあるにはあるが、あくまでも交際期間は過度な要求はしない。
特に水商売の女性は自分がそういった立場にいるからか、異性に金を払わせるのはイコール自分が買われている、つまり恋愛関係にないのと同じと考えるようで、金を遣わせることを嫌う傾向にあると感じた。
別の回でまた紹介するが、この気質が悪い男をヒモにさせ、のちに自分が苦労する羽目になるのだけれども。

ワンはスクムビット通りソイ22の奥に住んでいた。
ウアアモーンスックという有名な巨大アパートで、ソイ・カウボーイで働く人が大勢暮らしていた。
当時、スクムビットは日系企業駐在員が暮らすエリアというイメージで高級エリアかと思っていたが、偶数のソイは安アパートが多い。
ウアアモーンスックもエアコンはないものの、3,000バーツしない水準だったと記憶している。
タイ人が暮らすアパートもこのとき初めて見た。

高田-連載-アパートメント

ソイ24は高級住宅地だが、隣の22は庶民的なエリア。この建物の裏手にウアアモーンスックはある。

本当に家族のために働く姿を見る

ワンはロイエット県の出身だ。
東北地方の中心地で、2000年前後まではタクシー運転手の多い出身地だった。
当のロイエット県人は多くが「L.A.出身なの」とジョークを飛ばす。
ロス出身なの? と返せば、「違うわ、ロイエットよ」なんて誇らしげに言う。
ロイエットだとR.E.だと思うが、そこはイサーンジョークである。
黙って流すしかない。

ロイエットは決して裕福な県ではなく、農民も多い。
一般的な世帯と同様に、ワンも兄弟が多かった。ワンは妹たちのために働こうと、高校を卒業後、何歳か年上の姉がティーラックで働いていたのでバンコクにやってきたのだという。

のちにワンの姉と会ったら、1998年12月に初めてゴーゴーバーに行ったときに会ったことのある女だった。
当時、インドから戻ってきたオレは帽子をなくしていて、タオルを頭に巻いて歩いていた。
そして初めてティーラックに入ったところでタオルを奪われ、それをムチのようにして何度もしばかれたのだ。
だからオレは憶えていたというわけで。

ワンは毎日せっせと小銭を貯めていたようで、定期的にそれを祖母に送金していた。
文献で水商売の女性は家族のために働いているというのは知識としては知っていたが、本当にそうしているということもここで初めて知ることになった。

イサーン女性は家庭的?

それから、ワンのきれい好きにも驚かされた。
というよりか、オレがつき合ってきた日本人女性がすべて汚部屋の住人たちで、それが普通なのかと思っていたこともある。
こんなにきれい好きな人がいるのかと衝撃を受けた。
ワンは気がついたらせっせと部屋をほうきで掃き、あちこちを雑巾がけしていた。
ただ、ほうきで溜めたゴミはベランダか廊下に掃き出し、ちりとりで集めるということはなかった。
これはタイの安アパートでは常識の行動のようだった。

食事も近所の屋台で買うこともあったし、電気式のフライパン――ホットプレートではなく、タイスキの鍋が中華鍋のようになっているもので、炒めものだけでなく茹でることもできる万能な調理機器を持っていて、市場で食材を買って作ることもあった。
ちゃんとソムタムを叩く陶器製のクロークも持っていた。
タイ人は必ずしもすべてを外食で済ませるわけでもないことを改めて知った。

高田-連載-ソムタム

ソムタムを作る臼のクローク。完全に外食ではなく、ときどきは自炊もすることを初めて知った。

毎日がそういった驚きの連続で、タイ人のガイドブックでは知ることのできない一面を見ることが本当に楽しかった。

と言いつつ、後半は怒濤の展開にも繋がっていくのだけれども。

※後半は来月掲載予定です!

【プロフィール】
高田胤臣(たかだたねおみ)
1977年東京都出身のタイ在住ライター。
1998年初訪タイから2006年に結婚するまでにゴーゴー嬢、タニヤ嬢、マッサージ嬢など夜の女の子と一通りつきあい、タイの低所得者層から中流層の生活を垣間見てきた。
著書に「バンコク 裏の歩き方」や「東南アジア 裏の歩き方」など彩図社の裏の歩き方シリーズ関連、Amazon Kindleの電子書籍など。

バンコク 裏の歩き方 [2017-18年度版]

バンコク 裏の歩き方 [2017-18年度版]

[連載]タイの考察 〜オンナとタカダと、時々、チョメチョメ〜の最新記事

コメントを残す

コメントは承認後に公開されます。

入力内容をご確認の上、送信ボタンを押してください。

カテゴリー

企画 & 特集

アーカイブ

月別一覧

年別一覧