第2回「ウェルカム・トゥ・タイランド」~20年前のバンコク・プライベート・ダイアリー~

投稿日 2018.08.01

GIA アセアン近代史調査報告書

チャイナタウンの洗礼を浴びた第1回はこちらから。

第1回「夜のチャイナタウン」~20年前のバンコク・プライベート・ダイアリー~

今回は宿をカオサンへと移してからの記録です。

【日記/(匿名)】
【構成、注釈、写真/志賀健(GIA捜査官)】

【6月26日(金)】今夜あなたは可哀想だからマケテあげるわ

ワールドカップ

日本ワールドカップ3連敗(対ジャマイカ:スコア1-2)で予選敗退。
薄々予想していた結果だが、やっぱりガッカリ。
FW中山が執念の1ゴールを決めてくれたが、悔し涙を流すDF井原やGK川口の姿に、こっちまで泣きたくなったよ。

カオサンの仲間と一緒にTV観戦しても良かったが、ペッブリー通りのMP「ニューステラ」で観る羽目に。
ガイ(泡姫)からのお誘いを断れなかったのだ。
先週二夜連続で指名しただけなのにガイは営業熱心であり、うっかり宿の名刺を渡してしまったんで頻繁に電話をかけてくる。
「今夜はW杯を観たいから」と断ったものの、ガイは「店に来て観ろ」と。

「ニューステラ」では、ガイの取り計らいで1階食堂に設置された大型TV前の席が用意されていた。
ガイはすぐに金魚鉢の中から出てきて、ビール、グラス、アイスペールを運んでくれて試合終了まで同席。
勿論、サッカー観戦後は必ずガイを指名するという条件付きの厚遇だ。
サッカー観戦時間もガイの拘束時間として計算されるのかと確認すると、ガイは笑顔で「マイペンライ」。
要らないってニュアンスなんだろうな。
それにしてもW杯放送時間内はどこのMPの案内係たちも、来客なんてほったらかし。
タイでこんなにW杯が盛り上がっているとは想像もしなかったが、皆んな賭けているようで、凄まじい一喜一憂ぶりだ。

ペッブリーのマッサージパーラー

ガイとの“一戦”は盛り上がるはずもなかった。
カオサンに直帰する気にもなれず、近くのMPを何軒か覗いてみたが欲情せず。
「ニューステラ」から近い「バンコク・コージー」というMPには、珍しく女性の案内係がいた。
ピンクのスーツと真っ青なスカーフをキメタ、フロアマネージャー然とした中年女性だ。
彼女の案内には上の空で、漫然と金魚鉢を眺めている俺に業を煮やしたのだろう。
「G-Shock・RISEMAN」をはめた俺の左手首付近にフェザータッチをしながら、彼女は珍妙なセールストークを囁いた。
「あの娘はエコノミー。普段は1,500バーツだけど、今夜は日本が負けてアナタは可哀想だから1,300バーツにしてあげるわ」
エコノミーという言い方は笑えたが、W杯敗戦を逆手にとって日本人客を釣ろうとは何たる不届き千万!

【注釈】
文中のW杯とは1998年のフランス大会であり、日本が初めて出場した記念すべき大会。
最終代表メンバー選出の段階で、当時のエースだった三浦知良(愛称カズ)選手が落選して日本列島に衝撃が走ったものです。

【注釈】
「ニューステラ」は、ペッブリー通りとエカマイ通りの合流地点近くにあるスーパーマーケット「FOODLAND」の西側にあった格安MP。(2時間1,100バーツ)
約2年後にボロボロだった内装を改め、「ゾディアック」と改称して再スタートしたがいつの間にか閉店しました。
「ニューステラ」を初め、「ビワ」「ポイぺト」「ハワイ」といった格安MPでは、案内係と顔見知りになるとオキニの泡姫も交えて食堂でひとときの親睦を深めることが出来、また格安MPは食堂の食事が美味しかったものです。

ペッブリー通りのマッサージパーラー(MP)をレポート

【注釈】
「バンコク・コージー」は、リーズナブルなお値段で日本人に人気の高かったMP(後に閉店)。
女性案内人の提示価格はボッタクリであり、当時のエコノミー嬢は確か1,100バーツ。
当時のMPでは、バンコク初心者の日本人がボラレルのは茶飯事でした。

【6月26日(金)~続き】日本人のお客さんは、みんな凄いスケベで有難いです

めそめそとMP周遊をしている自分自身が突然むず痒くなり、体内に沈殿したアルコール分を抜いて正気に戻りたくなった。
「思い切り汗でもかいてみるか」
ペブリー通りからラチャダー通りまで約1時間かけて徒歩移動すると、思惑通りに滝の様な汗にまみれた。
風呂に入った後に汗をかくとは間抜けだが、日本W杯惨敗の夜は間抜けなことでもやらないとヤッテランナイ!
休憩を兼ねて、ラチャダー通りで再びMP周遊。
日本の風俗店ならば全身汗だくの客なんてさそがし迷惑なはずなのに、どのMPの案内係たちも笑顔で迎えてくれる。

「すいません。汗だくで」
「お風呂に入ってマッサージを受ければサバーイ、サバーイ」
「でも女の子が嫌がるでしょう?」
「マイペンラ~イ、皆んな優しい娘ばかり。あなた、タイは初めて?ウェルカム・トゥ・タイランド!」

タイ人が親切なのか、それとも日本ブランドの威力なのか。
ウェルカム・トゥ・タイランドか・・・何だか益々日の丸が霞んでいく行く気がした。

ラチャダーのマッサージパーラー

「ナタリー」なるMPでは、キャッシャーデスクの横にずらりと並んでいるスーツケースが目に付いた。
「スーツケースがたくさんあるけど、ここはホテルですか?」
「たくさんの日本人が空港からここに来たり、ここから空港に行くので、スーツケースをお預りしています」
「空港から?ここから空港?」
「はい。日本人のお客さんは良い方ばかりです」

タイ入国直後、出国直前の日本人が寸暇を惜しむ様に立ち寄るとは、よほどサービスのいい泡姫が揃っているのか?
流れ落ちる汗の合間から金魚鉢全体をチェックすると、ロリ系の泡姫が多い。
俺的にはゴメンナサイだが、この顔ぶれが日本人人気のポイントなんだろうか。

【注釈】
「ナタリー」は、「ポセイドン」と並ぶラチャダー通りの人気MPであり、文中の通り「バンコク・エロの玄関口」でした。
ロリ系の泡姫が多いことで特に日本人客から絶大な支持を受けていた様ですが、2016年にミャンマー籍の未成年女性を働かせた廉で閉店。

ラチャダーエリアのマッサージパーラー(MP)を回ったらいろいろと変化があったのでレポート

強制捜査後のマッサージパーラー『ナタリー』のいま

【7月1日(水)】あなたもタイの女の子をお金で買うクソ日本人ですか?

「CH2」に移動してきて二週間が経過した。
予想以上に日本人宿泊者が多く、彼らと一緒に真昼間から1階のロビーで時間を潰す毎日。
俺の様な中年も少なくなく、別の宿に泊まっている日本人たちも遊びに来る。
日本を出国してまだ一ヶ月、「CH2」の居心地の良さに甘えて沈没してしまったようだ。
チャイナタウンとカオサンを含む大きな沼の中で、ナマズかムツゴロウの様にひっそりと棲息しているとも言えるな。
チャイナタウンでは沼底に溜まったヘドロに吸い込まれそうになったが、カオサンでは沼水の上澄みの中で浮遊している半覚醒状態だ。

このところ午後2~3時頃になると、2人の韓国人女性旅行者が「CH2」にやって来る。
2人は大学生らしく、流暢な英語でロビーで寛ぐ日本人男性と交流を図っている。
対照的なまでに清楚系美人と漫画チックな顔のコンビ、俺は漫画嬢の方から昨日声かけされた。
大きな瞳、平べったい鼻、広がった口、小さな耳、それらのレイアウトは「神様の計算違い」であり、失礼ながら笑いがこみあげてくる。
今日も彼女と雑談していたが、突然突拍子もない事を訊かれた。

「あなたも、毎晩タイの女の子を物色したり買ったりしているのですか」

“女を買う”という英語を、彼女はえげつなく“BUY LADY”と言った。
侮蔑的ながらも興味津々な視線だ。
それにしても、咄嗟に出た返答は我ながら明答だったな。
「そうありたいですね」

ゴーゴーバー

更に後ほど、美人の方からも同じ質問がきた。
“女を買うのか”ではなく、“売春婦が好きなのか”と彼女は訊いた。
コイツラ、友好的な態度を見せながらも実は日本人男性の夜の醜態でも調査しているのか!?
彼女の秋波は、「金で女を買うゲスな日本人め、さあ包み隠さず話してみなさいよ」って脅しなのかもしれない。
受け答え自体がアホらしくなったが、相手は美人だから会話を中断したくない。
ここは一丁、クールに煙に巻いてみることにした。
「もう少し早く、あなたと出会いたかった」

吹き出してくる額の汗を堪えた。
クールを装っているのだから、心の微動を悟られてはならない。
彼女は相好を崩さぬまま、微妙に話題をスライドしてみせた。
自分の実家はトンヨンとかいう海岸の街にあり、お魚が美味しくて風光明媚だから是非俺を案内したいと言った。
この場限りの空っぽな好意の交換が成立した。
彼女は俺よりも一枚上手なようだった。

【注釈】
「CH2」は、カオサン通りから東側へ約100メートル、ラチャナムグン・クロン通りから北へ一本路地を入った郵便局横のゲストハウス(現ニューCHゲストハウス)。
当時はシングル1泊80バーツ、1階の風通しの良い広いロビーが寛ぎやすく、隣接する「ナット2」と共に日本人旅行者のたまり場でした。

【注釈】
今でこそ韓国人のアジア旅行者は多いですが、当時は比較的珍しかったものです。
それでもカオサンの中には韓国人専用の宿があり、入口にはどデカイ太極旗が外国人を威嚇するように飾られていました。

【注釈】
トンヨンとは、韓国の南部にある港湾都市の「統営」。
西暦1593年、豊臣秀吉の二度目の朝鮮出兵の際(慶長の役)、名将・李舜臣(イ・スンシン)率いる朝鮮水軍が豊臣軍を撃退したとされる地。

【7月13日(月)~】誰かに抱かれて眠りたいんです

一昨昨日マレーシアへのビザランを終えて「CH2」に戻って来てからルームシェアをしていた女の子は、本日帰国の途に就いた。
やれやれ、これでシングル・ルームに移動してゆっくりと眠ることが出来る。
彼女の荷物があまりにも多かったので、タクシー乗り場のある大通りまで大きなバックパックを運んであげた。
タクシーの中から手を振る彼女の笑顔は太陽の様に眩しかったが、俺の心情は少々混淆的だった。
実は昨晩、彼女とくっついて寝る羽目になっちまったからだ。

深夜にほろ酔い気分で部屋に戻ると既に消灯されており、忍び足で自分のベッドに近づくと、彼女は無声音で語りかけて来た。
「すいません・・・今夜一緒に寝てもらってもいいですか?」
息が止まりそうになった。
「抱き合って寝るだけでいいんです」
体温が上昇して酔いが回って来た。
「誰かに抱かれたまま眠りたいんです」
時の動きとは微妙にずれた別の空間に、彼女と二人で入り込んで行く気がした。

2人の空間に

ルームシェアを申し込まれた時と同じく、「No」と言わせない含羞なき双眸の煌めが暗闇を突いて迫って来た。
彼女は綿菓子のようにふわりと俺の胸元に顔を寄せ、全身を軽く預けてきた。
そのまま一緒にゆっくりと俺のベッドに倒れ込むなり彼女はうっとりと呟いた。
「あ~こ~いうの久しぶり」

10分もしないうちに彼女は寝息を立て始めた。
彼女の両脚が時折たてる微かな衣擦れの音に、「襲って差し上げるべきなのか」と逡巡させられながら、まんじりともせず朝を迎えた。
近くのモスクから毎朝早く聞こえてくる耳障りなコーランを、この夜だけは早く聞きたいような、しばらく聞きたくないような・・・。
唐突に「ハーレムのスーツ姫」の青白い顔が、暗闇の中で何度も浮かんでは消えた。
薄気味悪かったスーツ姫の幻影の御祓いをしてもらっていたのかもしれない。

つづく

【注釈】
若い女性からのルームシェアの申し込みは、現在のバックパッカー界でも普通にあるのでしょうか。
私の場合、40歳過ぎてからの独り旅では一度もありませんし(笑)、ましてや「一緒に眠ってくれ」なんて要求は、オジサン・パッカーには有り得ないでしょう。
「ハーレムのスーツ姫」については、「第1回~夜のチャイナタウン」参照。

【志賀健プロフィール】
2018年5月にGIA捜査官に就任。
1972年神奈川県生まれ。
元高校球児でプロ志望も断念。
ロックンローラに転身するもまたも挫折してアセアン放浪の旅へ。
以後フリーライターで食い繋ぎ、現在アセアン沈没中の生粋の不届き者。
ミレニアム前後から、日本の音楽サイト、アセアンの日本語情報紙等へ投稿経歴あり。

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