第1回「夜のチャイナタウン」~20年前のバンコク・プライベート・ダイアリー~

投稿日 2018.07.16

GIA アセアン近代史調査報告書

「20年前のバンコク」の様子が書かれた日記が見つかったことにより、GIA 情報本部・アセアン近代史調査部を設立。
バンコクの20年前と現代とを参照しながら「近代バンコク」の実態を検証していくは、回顧課 第5班捜査課長の志賀健(シガケン)です。

日記の主が20年前に初上陸したバンコクの初日と翌日の記述を紹介した序章はこちらから。

序章「バンコク初体験」~20年前のバンコク・プライベート・ダイアリー~

【日記/(匿名)】
【構成、注釈、写真/志賀健(GIA捜査官)】

【6月8日(月)晴】目覚めよと呼ばわる声あり!?

チャイナタウン、ヤワラート

チャイナタウン滞在、早や5日目。
目新しい光景を探してほっつき歩いていてはいるが、日に日に外出開始時間が遅くなってきた。
凄まじい暑さ、排気ガスで覆われたヤワラート通り、腫れぼったい空気が淀む無数の路地、何処へ行っても息苦しい。
日本の暑さは苦にならないが、こっちの暑さは質が違う。
毛布の様なぶ厚いチャドルを、無理矢理頭から被せられてる様に自由が利かなくなってくる。

少年時代に横浜の中華街近くに住んでいたためか、中華街自体がさほど珍しくない。
屋台の食材、真昼間から客を待つ娼婦だけが、現在のバンコクと20年前の横浜の中華街との趣きを異にしている様にしか見えない。
見慣れない光景といえば、路地の暗がりで横たわっている汚らしい野良犬ども。
コイツラ、昼間はグテーとしていながら、夕方から活動を始めるらしいが、まさに今の俺自身だな。

艶がなく見える屋台の果物、湯気の立っていない汁そばやお粥、調味料ギッタギタの炒め物、周囲の悪臭を吸い込んでいる様な豚の丸焼き、まったく食欲がわかない。
タイ入国以来、視覚も味覚も意識もピンボケしてしまったようだ。

チャイナタウン、ヤワラート

二の腕を見ると、真っ赤な痣が少し残っている。
先刻ホテルのフロントに紹介されたマッサージパーラー「テキサス」の前で、泡姫たちに強引に引っ張り込まれそうになった時の戦跡だ。
それにしても物凄い力で掴みやがったな、あのネーチャン!腰元にしがつみてきたもう一人は、後ろからがぶり寄りしやがってトンデモネー。
喜怒哀楽が失せている時に突然覚える怒りって、こんなにも目を覚まさせてくれるものなのか。
大した観光もせず、毎日野良犬生活をやっているから泡姫たちにナメラレタのかもしれない。
しかし「疲れが抜けないからマッサージ店を教えてくれ」って頼んだのに、あのフロントの野郎!

【注釈】
「テキサス」は、ヤワラート通りのタイスキ屋「テキサス」の路地奥にあったMP。
店の周囲には客の付いていない泡姫が屯っている珍しいMPでもあり、確かに泡姫たちの“客狩りパワー”はすごかったと記憶しています。
また“生娘”が入店すると、まずは当地管轄の〇〇のお偉いさんに上納されるという噂がありました。
当時の値段は確か600~800バーツで、数あるバンコクのMPでは最安値でした。

【6月8日(月)~続き】アナタ ドキョウ ナイネ

もう一件勧められた「ハーレム」にも行ってみた。
扉を開けると、ド派手なドレスを着た泡姫たちを収めたアクリルケースがいきなり迫ってきた。
泡姫たちはみんな暇だったに違いない。
俺の入店に弾ける様に反応した。
ウインクする者、投げキッスをする者、舌なめずりの仕草をする者、両手で巨乳を誇示する者。
からかわれているんだろうが、タイに来てから初めて愉快な気分になった!
裸電球にピンクのセロハン紙を張り付けたようなチープなエロ・ライトに包まれた店内は、「ハーレム」というより「エンド・オブ・ザ・ワールド」だが、場末感たっぷりのひなびた情緒は悪くない。
古い日本の風俗小説に登場する、昭和30年代の「赤線」の置屋みたいだ。

チャイナタウンのマッサージパーラー

自己アピール旺盛な泡姫たちから離れ、一人でポツンと座っている女性が目に付いた。
場違いな濃紺のスーツにボブヘアー。
普通の会社でコピーどりとお茶汲みだけをやっているような、疲れたOL風情が異様だ。
「なんで彼女だけスーツを着ているのか」
案内係の男性に聞いてみたが、あの恰好が好きなんですよとまったく的を得ていない返答が益々彼女への興味を駆り立てた。
やがて彼女は視線を返してきたが、アピールしてくる様子もなく至って無表情。
ニラメッコは大の苦手だし、何だか敗走したい気分。
案内係が彼女を呼び出そうとしたので慌てて断ると、「アナタ ドキョウ ナイネ」。
彼女の目がそう言った気がした。
何だか、泡姫たちに弄ばれたような一夜になってしまったな。

【注釈】
「ハーレム」とは、フアランポーン駅近くにある現「クレオパトラ」。
2005年頃、泡姫の中からエイズ患者が出たということで一時休業を余儀なくされ、「クレオパトラ」と名前を変えて再オープン。
アクリル・ケース(ガラス・ケース?)とは通称“金魚鉢”と呼ばれるひな壇。
現在のMPでは、ひな壇と見学スペースとの間に高さ50センチほどの透明の衝立があるだけですが、当時は完全なショウケース形式でした。

【注釈】
「赤線」とは、昭和30年代まで存在した特殊飲食店として許容、黙認されていた地域および置屋の総称。
対して、非合法で売春が行われていた地域は「青線」と呼ばれていました。

【6月9日(火)曇り/雨】怒涛のバンコク講釈

昨夜の泡姫見学体験で目が覚めたか、夜になって久しぶりに空腹を覚えて「北京飯店」へ。
「楽宮旅社」の日本人宿泊者と一緒になり、タイ入国後初めて日本語を使った。
顔中髭だらけで真っ黒に日焼けしたNと名乗った方は、栃木県の証券会社を辞めて放浪の旅に出たとか、ラオスのハッパは最高だったとか、「楽宮」の娼婦はヒドイとか、初対面にもかかわらず口角泡を飛ばして喋りまくっていた。
その一方では、タイ初心者の俺にとっては有難い情報も随分と話してくれた。

「シンハー・ビールは氷を入れて飲んだ方がいいよ。アルコールが薄まって飲みやすくなるよ」
「ハッパってのは、腰痛とか筋肉痛とか歯痛に効くんだよ。食欲も増進するんだ、これが!」
「タイのメコン・ウイスキーって飲んだことある?あれはヒデー、目が潰れるよ」
「カオサンに行くなら、メイン通りからやや外れた場所にあるCH2っていう宿が良いかな」
「洋楽のCDが欲しいなら、プラトゥーナムのパンティップ・プラザに安価でダビングしてくれる店がある」
「遺跡に興味があるならスコータイと、その先のシーサッチャーナライ遺跡がいい。アユタヤ遺跡は近いけどつまらないよ」

バンコクの北京飯店

絶え間ないN氏の講釈に圧倒されながら、しょっぱくて薄っぺらなタイ風オムレツとカツ丼をパクついた。
N氏が注文した変な形をした貝の塩茹では、ウンコ臭くてひと口でゴメンナサイだった。
でも試しに氷を浮かべて飲んでみたシンハービールの飲み口がスムーズになり、気持ち良く酔えた。
頃合いを見計らってN氏に御礼を述べ、情報提供料としてN氏の食事代も一緒に勘定を済ませてから「北京飯店」を後にする。
一緒に立ちんぼ嬢を冷やかしに行こうと誘われたが、丁重にお断りした。
N氏のお陰もあって、久しぶりに全身に血液が巡ってきた。

【注釈】
「北京飯店」は「楽宮旅社」に隣接していた簡易食堂。
少々日本語を話せるスワン二―という名物オバサンが仕切っていました。
“なんちゃって日本料理”が食べられる「北京飯店」は、世界各国を渡って来たツワモノの貧乏旅行者にとっては貴重なオアシスでした。

【注釈】
「北京飯店」は元より、飲食店での娼婦同伴の飲食はご法度という不文律が「楽宮」や「ジュライ・ホテル」の住人の間にあったそうです。
同伴を目撃した娼婦が、自分の客にも同伴飲食をねだる面倒が生じるからなんだそうです。
ギリギリまで出費を削りながら娼婦を買うという、当時の貧乏旅行者たちの悪知恵だったのかもしれません。

【注釈】
ビールに氷を入れて飲む東南アジア独特の風習は、冷蔵庫が普及していなかった時代の名残ですが、アルコール度数の高いシンハービールを飲みやすくするにはピッタリでした。
メコン・ウイスキーはタイの安い米焼酎であり、一説によると超下級の米とサトウキビとの混合焼酎。今では品質が向上したものの、当時はポケット・ボトル1本で悪酔いしたものです。
日本の秋篠宮殿下様が「メコン」をご贔屓にされているという説が流布していましたが、それは当時一般には流通していない高級バージョンだそうですが、真相は定かではありません。

【注釈】
ネット・ダウンロードのない当時、著作権概念の薄いタイでは、当時はコピーDVD、CDが大手を振って売られていました。
また「パンティップ・プラザ」では、1枚25バーツ、5枚100バーツで正規盤のダビング・サービスをしていたものです。
しかしキャプチャー無しのダビング状態であり、一応オマケとしてぺら紙のジャケット・コピーが付いていました。

【6月9日(火)~続き】アイム・ソーリー

雨の降るヤワラート

梅雨のような滅滅とした雨が降り始めた。
もう少しN氏のお話に付き合っても良かったが、ビールの酔いが回るにつれて「ハーレム」の“スーツ姫”の姿が瞼にチラついてどうしようもない。
「今夜は彼女を指名しよう」
“タイ童貞”を捧げる相手としては、ちょっとミステリアスで刺激的じゃないか!と一人悦に入る。
チャイナタウンを行く足取りが初めて軽やかになった。
「ハーレム」へと続く弱雨に濡れた真っ暗なストリートは、出口の見えない巨大な下水道の様だ。
前方で妖しく揺れるネオンが近づいたり遠ざかったり、エロい高揚感で視覚まで鋭敏になってきた!

“スーツ姫”は昨晩と同じく無表情で俺を迎え、幽霊みたいに音も立てずに歩きながら階上の部屋へと案内した。
ヒップを包んでいるタイト・スカートは、先端やプリーツがアイロンを直に押し付けた様にテカテカ光っている。
通された6畳ほどの部屋には湿気がこもり、換気扇の乾いた音が妙に気に障る。
風呂場の床は濡れたままであり、所々茶色のヒビが走っている浴槽はお世辞にも清潔とは言い難い。
板張りの壁は湿気でかびた様に所々黒く変色し、天井も染みだらけだ。
あまりのおんぼろさに、早くも“戦闘意欲”が薄れてきてしまった。

ヤワラートの嬢

彼女が唯一口にした言葉は「アイム・ソーリー」。
「英語は分かりません」のつもりでもあるのか、何を聞いても「アイム・ソーリー」しか言わない。
恥じらいを装うこともなく晒している色白の裸体は、起伏に乏しくて痩せ過ぎ。
立ち振る舞いには、蟻が当たり前に餌を運ぶ様な空虚な職業意識が漂っている。
いやいや、そんな事よりも、俯き加減に低音で連発する「アイム・ソーリー」に激しく気が滅入る。

御座なりの洗体サービスを受けてからベッドへ移動すると、彼女は呪詛の如き「アイム・ソーリー」を呟いてから“奉仕”を始めた。
数分ぐらい経っただろうか、彼女はなんのてらいもなく“装着なし”で跨ってきた。
突然の過剰行為に仰天するや否や、彼女の薄っぺらな下腹部辺りから鼻が曲がる様な異臭が立ち昇ってきた。
飛び上がる様に慌てて身体を離して彼女を凝視した。
しかし案に相違したであろう俺の行動にも彼女は驚く気配はなく、ベッドの上に横座りしながら流れる水でも眺めるような無機質な視線を返された。
やがて小刻みにかぶりを振り出した彼女に逆上しそうになったが、何とか気を取り直して着衣。
全身に冷や汗をかいた様な気味の悪い覚醒感に襲われながら、一人で部屋を出た。

ヤワラートの灯り

「随分とお早いお帰りですね」
階下の案内係が驚いた表情で話しかけてきた。
事もあろうに、ついて出た言葉は「アイム・ソーリー」。
店の外へ出ると、漆黒の空から降る霧雨が路面を濡らしていた。
傘なんて持ってないが構うもんか。
一目散に逗留先のホテルに飛び込みたかった。
やっぱり俺は“アナタ ユウキ ナイネ野郎”なんだろうか。
“タイ童貞”にオサラバするのは持ち越しだ。
さようなら“スーツ姫”、インパクトだけは強烈だったよ。

つづく

【注釈】
“スーツ姫”の正体は勿論不明ですが、恐らく彼女は新入りであり、自前でセクシードレスを買うお金がまだ無かったのでしょう。
私はペッブリー通りのMP「マダム」(今は無き人気店「ナタリー」に隣接)にて、Tシャツとジーンズ姿の泡姫を指名したことがありますが、彼女はそのように申しておりました。

【注釈】
何故“スーツ姫”が“装着無し”で事に及ぼうとしたのか。
MPでは稀だったとは思いますが、客を引き付けるサービスと割り切っていた娼婦は当時は存在しました。
「ハーレム」では当たり前のサービスだったのかもしれませんが、それが前述したエイズ騒ぎによる一時休店に追い込まれた原因になったのでしょう。
ちなみに日記の主は、3年後にペッブリー通りのMP「ニューヨーク」のひな壇で“スーツ姫”を目撃したそうです。
MPで働き続けていたということは、日記に記されている“スーツ姫”の“異臭”は病気による匂いではなく、単に体質からくる匂いだったのでしょう。

【志賀健プロフィール】
2018年5月にGIA捜査官に就任。
1972年神奈川県生まれ。
元高校球児でプロ志望も断念。
ロックンローラに転身するもまたも挫折してアセアン放浪の旅へ。
以後フリーライターで食い繋ぎ、現在アセアン沈没中の生粋の不届き者。
ミレニアム前後から、日本の音楽サイト、アセアンの日本語情報紙等へ投稿経歴あり。

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