第4回「搾取と夜の女の苦悩を垣間見た エーンという女 (前編)」

投稿日 2017.10.31

高田-連載-スナック

タイ人女性に奢ってもらっていたしょうもないオレ

オレのライターとしてのプロフィール上、在住は2002年からにしている。
現在に至るまで継続してタイに滞在しているのがこのときからだからだ。
実際には2000年7月から約1年間、タイ語学校に通うために滞在した。
だから、日本大使館への在住届上はこのときから滞在になっているかと思う。

2001年7月ごろに日本に戻り、パチンコ店でバイトして金を貯め、同年10月に再度バンコクに戻った。
このときに知り合ったのがタニヤで働く女、エーンだった。
女というより女の子である。当時彼女は17歳だった。

高田-連載-スナック

エーンと交際時はデジカメなんて普通の人は持っていなかったので、イメージとしてこんな感じだった、ような…。

タイ語学校時代に住んでいたアパートにワンさんという女性がいた。
元タニヤ嬢で、当時日本人のパトロンがいて悠々自適に暮らしている人だった。
レンパイが大好きという点では、古き良き時代のタニヤ嬢といった人でもある。

レンパイは賭けトランプで、おいちょかぶのようなそれほどルールも難しくなくて、女性を中心にタイ人の中年層に人気の賭けごとだ。
もちろんタイでもギャンブルは違法なので隠れてやるのだが、地方では結婚式や葬儀で人が集まると賭場が開かれるほど浸透している。

姉御肌のワンさんはよく金のないオレを飲みに連れて行ってくれた。
今は誰でも普通に和食を食べる時代だが、2000年代前半の和食は高級料理店。
オレみたいなバックパッカー崩れはそうめったに和食店に足を向けなかった。
ワンさんはまだ和食が高かったイメージのある時代にも、オレを誘ってくれた。
よく行ったのが「江戸屋」だ。
今はチャーンイサラ・ビルの中にあるが、当時はシーロムのソイ4にあって、なんでこんなゲイストリートにあるんだろうかと疑問に思っていたものだ。

2000年代前半のタニヤは気軽に行ける飲み屋街ではなかった!

そんなワンさんがある日、レンパイの勝ち分を受け取りに行くのでついてこい、と言った。
タニヤの小さなクラブで、そこのママさんにレンパイの貸しがあるようだった。
席に着き、ワンさんがオレに適当に見繕ったのがエーンだった。
そのときは19歳とか20歳と言っていた。

高田-連載-カラオケ-タニヤ

2011年当時のタニヤ。6年前でさえこんな雰囲気だが、2001年ごろはもっと違っていた。

タニヤも2000年代前半はオレのような若いのには絶対に声をかけないような場所で、セット料金もなく、そう簡単に行けるところではない。
あくまでも日系企業駐在員の遊び場がタニヤだった。
スナックも当時あったのは1軒くらい。
人気の「スター21」はその年か翌年にオープンしたはずだ。
若い人が気軽に行ける場所ではなかったので、オレは緊張しながら連れて行かれ、正直、最初にエーンに会ったときのことはよく憶えていない。

高田-連載-スナック-スター21

かつてのスター21のこの階段はわくわくしたものだ。

電話番号くらいは交換していたようで、ある日、エーンから電話がかかってきた。
この時期は前回のワンともまだ繋がっていたころで特にエーンに興味はなかったし、最初に会ったきり何週間も過ぎていて、すぐに思い出せなかったくらいだ。
エーンはボーリングが好きで、ボーリングに行かないかと誘ってきた。
逆にオレはボーリングは嫌いで、その日は先約があって、エーンの誘いは断った。
先約とは友人(日本人)が、ナンパしたタイ人の女の子たちと合コンをするので、人数合わせだが頼むから来てくれ、と言われていたことだ。

それで奇しくも合コンはボーリングで、なんの因果か、隣のグループを見たらエーンがいた。
これは衝撃だった。
途中でエーンも気がつき、完全に顔が怒っていた。

なんだかんだでいつの間にか一緒に暮らしていた

さらに1ヶ月くらいが過ぎ、またエーンから電話があった。
そのときオレはひとりでナナのゴーゴーにいた。
エーンの自宅がラマ4ということで近く、家に来るように言われた。

その夜はいろいろ話をして帰ったのだが、今にして思うと当時タイ語ができる日本人がそれほど多くなかったこと、自分が勤める店のママさんと仲がよく、かつタニヤでも顔の広いワンさんに近づけるということから、エーンはオレを利用したいと思ったのではないかと感じる。
すごく頭のいい子ではあった。
その日からよく電話が来るようになったし、一緒に出かけたりした。

そして2001年の大晦日はいろいろと出かけ、そのときに「実はワタシは17歳だ」と言われた。
一応は恋愛関係であるし、当時オレも24歳。
変な意味でその年齢に価値を見いだしたつもりもなく、逆に17歳でタニヤで働くってどういうことなんだろうかと思ったくらいだった。

高田-連載-スナック

その後ワンさんが開いたスナックでエーンも働いていた時期がある。

あのころは「バンコクコージー」に10代前半とおぼしき女の子がいたり、スティサーンのゴーゴー街の裏手にあった置屋数軒にもそういった子がいた。
パッポンの小さなゴーゴーには14歳の女の子もいたし、17歳がそれほど驚くべきことでもなかったというのもある。

エーンはスタイルもよく、それなりにかわいい。
2002年の頭だったか、オレは無愛想なワンの家を再度出奔し、エーンの自宅で本格的に暮らし始めた。
最初のうちはおとなしく部屋で映画を観たり、本を読んだりしながら過ごし、エーンが仕事から帰ってくるのを待った。

エーンの昔の男が現れ、殴り合いになってしまい

そんなある日のことだ。
明け方、誰かがドアをノックする。
ラマ4のシティーコートというおんぼろの安コンドミニアムではあったが、一応入り口はキーカードがないと入れない。
それを抜けてくるとはいったい?

最初、エーンは兄が来たと言った。
しかし、玄関に入れずに外で揉めている。
どうしたのかと思い、声をかけると金髪に革ジャンのタイ人の若者。

「どうしてだよ、エーン。戻ってきてくれよ、エーン」

と、安ドラマも真っ青のおもしろ展開になっていた。
「兄じゃないの?」と訊くも口をつぐむエーン。
なんのこっちゃ、と思っていると、男が殴りかかってきた。
オレも特にケンカが強いわけではないが、革ジャンに金髪という見た目とは裏腹に驚くほどケンカの弱い輩で、途端に廊下に伏せって泣き出した。
どんだけ魅了させてんだろうかとエーンが怖くなってくる。

幸い、コンドのセキュリティーが現れて彼は連行されていったが、オレもその日のうちにエーンの家を出た。
わずか1ヶ月足らずの同棲だった。
このときまでエーンは普通の女の子だと思っていたが、ここから怒濤の展開でエーンがまるで別人のようになっていくのだった。

【プロフィール】
高田胤臣(たかだたねおみ)
1977年東京都出身のタイ在住ライター。
1998年初訪タイから2006年に結婚するまでにゴーゴー嬢、タニヤ嬢、マッサージ嬢など夜の女の子と一通りつきあい、タイの低所得者層から中流層の生活を垣間見てきた。
著書に「バンコク 裏の歩き方」や「東南アジア 裏の歩き方」など彩図社の裏の歩き方シリーズ関連、Amazon Kindleの電子書籍など。

バンコク 裏の歩き方 [2017-18年度版]

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