第7回「今宵も泣いて笑って・・・嗚呼、ジェットコースター曼谷」~20年前のバンコク・プライベート・ダイアリー

投稿日 2018.11.05

インドから二ヶ月ぶりにバンコクに戻って来た筆者。
インドでは散々な目に遭ったらしく、バンコクでオキニのゴーゴー嬢に癒してもらいたかったようですが、そうは問屋が卸さないのがタイ風俗!?
またまた思いも寄らぬハプニングが起こって筆者は激しく困惑します。
しかし、“捨てる神あれば拾う神あり”で、意外な幸運が筆者にやって来ることに!

【日記/(匿名)】
【構成、注釈、写真/志賀健(GIA捜査官)】

【11月20日(金)】タイが一番いい!?

ドンムアン空港に到着した時、安堵のあまり泣き出しそうになってしまった。
約二ヶ月にわたるバングラディッシュ/インドの旅は最悪の結果で終わり、予定の半分の期間で切り上げてバンコクに戻ってきたのだ。
「聖地だか、瞑想だか、ガンジーだか、マハリシだか知らないが、あんなくっそキタネー国なんか二度と行くもんか!」
ドンムアン空港からチャイナタウンへ向かう列車の中で、俺は何度もインドへの怨嗟の言葉を繰り返した。

インドはカルカッタ(現在の一般的呼称はコルカタ)とベナレス(ワーラーナシー)を往復しただけだったがもうウンザリだ。
どこで途中下車しようと、人が集まる場所はまさに“クソもミソ”も一緒。

埃っぽい空気と牛の糞だらけの酷い衛生状態に食欲も完全に失せた。
ベナレスでは聖なる川ガンジスの畔に宿をとったが、あっちで洗濯とか食器洗い、こっちで入浴とか排便、そんな不潔極まりない川で沐浴なんか出来るわけがない。
それを「ヤワな日本人だ」と笑いたければいくらでも笑え。
貴様らインド人は俺が病気になったら面倒を見てくれるのか!ってな気分だ。

カレーオンリーのインド飯は約二週間でギブアップ。
サモサとか言う軽食やハンバーガーの具までカレー味だから呆れるしかない。
ハッパやハシシには興味はないので酒を探したが、ビールを買うのでさえひと苦労だ。
乗車時の約束金額を守らずに必ずモメるリキシャー運転手のクソども。
絶対に諦めずにどこまでも付きまとってくる物売りのガキども。
品物のアピールではなくて来客者に喧嘩を売っているような市場の野郎ども。
おつりを持ってこない食堂の店員ども。
もう思い出すだけで全てに腹が立ってきた。

最後の最後は、激寒のカルカッタでチャイの飲み過ぎで急性食あたりになって三日三晩宿でのたうち回る羽目に。
胃腸が空っぽになるまでの下痢と激しい腹痛の末に気絶。
喉が渇いて目が覚めて水を飲むとまた下痢と激痛と気絶。
また喉が渇いて~、それを延々と繰り返して、一体今が何月何日何時であるかすら分からなくなった。
パッカー宿で有名な「パラゴン」の前の路上で雑貨を売っている日本語ペラッペラのインド人、愛称サトシの元までそれこそ命がけで這って行って助けを乞わなかったら、俺はカルカッタで死んでいたかもしれない!?
サトシが調達してきてくれた薬を飲んで正気に戻れた時は、サトシが神様みたいに思えたものだ。
たった一人でも感謝できるインド人と出会えたことは、唯一の幸運ではあった。

インド・ショックと言えば、容体が上向きになったインド出発前夜に夜市に出かけた時、幼女連れの物乞いらしきオバサンに「100ルピー」と声をかけられた。
「具体的な金額を要求してくる物乞いは珍しいな」と立ちすくんでいると、オバサンは幼女の身体を俺に向かわせてから右手で幼女の頭を撫で、左手で俺を指差しながら何かを幼女に言い含めている。
オバサンはやがて幼女の手を引きながら「付いてこい」と俺を促した。

ややあって気が付いた。
要するに「100ルピーで娘を買え」ってことなのだ。
急性食あたりのせいで、俺のツラは幼女好きの変態みたいになってしまったのだろうか。
それとも幼女を売らねばならんほどオバサン家族の生活は逼迫しているのか。
持って行き場のない怒りがこみ上げてきたが、やがて虚無感に変換されていった。
もうインドなんてどうでもよくなったものだ。
タイで女遊び、夜遊びに呆けていた野郎にとって、初めてのインド体験は悪しき衝撃ばかりだった。

【注釈】
まだ自分のスマホで格安航空券をスイスイと予約する事など考えられなかった当時、バンコクは何処よりも世界中の主要都市への格安航空券がゲットしやすい場所としても有名であり、インド行き航空券も然りでした。
当時のインド行き格安航空券の大半は「エア・インディア」でしたが、いざ空港のチェックイン・カウンターに行くとダブルブッキングやオーバーブッキングが多く、出発時間が半日遅れる事も珍しくなく、機内も結構オンボロでした。
それでもバンコクとインドを何度も往復しているツワモノたちは、「エア・インディア」を「エア・インチキ」と揶揄していたものです。

「インドは大好きになるか、大嫌いになるか、どっちかだ」
「インドは旅行じゃなくて、現地人と喧嘩しに行く所だ」
「インド人は、日本の男は金。女はオ○ン○としか思ってないよ」

インドへ旅立つ前にカオサンのインド・フリークたちに散々吹き込まれたものだ。
それでも「俺には俺の為のインドがあるはずだ!」なんて意気込んで乗り込んだが、言われた通りの結果に終わってしまったことが悔しいし、情けない。
そして彼らのご指摘で200%身に染みたのは
「インドを出る時に、タイが一番いいって実感するはずだよ」。

カオサン生活に浸っていると、宿の仲間たちとタイの不便さ、タイ人の滑稽さを語り合うことがストレス解消になっていたが、この度のインドも含めて、アジア諸国からタイに戻るとタイの居心地の良さをしみじみと実感する。
それぞれの国の文明の速度とか、文化の深度とか、国民性とか難しい分析はさておき、グウタラ日本人にとってタイの風土はもっともぬるま湯的でキモチイイってことなんだろうな。

【注釈】
1998年当時のレートは、タイ・バーツとインド・ルピーはほぼ同価であり、文中の100ルピーは100バーツに値します。
【注釈】
「パラゴン」はコルカタのバックパッカー街サダル・ストリートにある有名宿。私も2000年に訪れたことがあり、当時のお値段は確か一泊70ルピー。
またサトシは間違いなく実在の人物であり、恐ろしく流暢な大阪弁を話す名物インド人。
現在でも「パラゴン」の前で商売をしているそうです。
【注釈】
私がコルカタで知り合ったインド・クレイジーに言わせると、“売り場”で母親同伴の幼女を値切るならばとりあえずはやんわり拒絶しながらゆっくり逃げるのがコツとか。
やがて母親が幼女一人で客を追いかけさせて同情を誘う手段に出るので、その時が逆に値切るチャンスであり、「分かった分かった。〇〇ルピーならいいよ」と言える状況になるそうです。
その彼は「俺は30ルピーまで値切ったことあるぜ!」と豪語していましたが、そんな猿芝居をしてまで値切って幼女と・・・が私の本音でありました。

【11月21日(土)】俺はてめーんちのスポンサーじゃない!

カオサンの定宿CH2に戻ると、顔馴染みの沈没者たちはほとんど姿を消していた。
あくまでもマイペースを貫き、他人とは関係のない日々を送ることで辛うじて個のアイデンティティを保っているように見える彼らも、居なくなる時は割りと一斉に姿を消すものだ。
彼らにも“自分だけ取り残されるのは寂しい”という当たり前の感覚が残っているのだろう。

二ヶ月ぶりにナナ・プラザ「レインボー1」に行く。
勿論ゴーゴー嬢のニンに逢うためだ。
インド・ショックでニンとの楽しい思い出がぶっ飛んだものの、バンコクに戻ったらやっぱり逢いたくなった。
インド行き直前の10日間、俺はぶっ続けでニンを指名した。
セックスよりも、ナナプラザ内のゴーゴーバーをニンと2人で梯子しながら飲みまくるのが楽しくてしょうがなかったのだ。
あんな無茶がまた出来るほど体力が回復しているとは思えないが、何はともあれタイ帰還をニンに伝えたかったのだ。

「レインボー1」に入った直後からママさんや顔なじみのウエイトレスたちにやたらと「痩せた、痩せた」「ご飯ちゃんと食べてるの?」って言われる。
インドで凄まじい下痢ピーを数日やったんで、そりゃあ痩せただろう。
しかし彼女たちの気遣いは、俺に何かを隠しているようなよそよそしさを感じてしまう。
それに肝心のニンの姿が見えない、運悪く今夜はお休みなのだろうか?
やがてエーという名のウエイトレスが、新顔らしい女の子を連れて来て俺の隣に座らせた。

俺 :この子は誰だい?
エー:昨日から踊っているニューフェイスよ。
俺 :あっそっ。ところで今夜はニンはお休み?それとも外出中(ペイバー済)かい?
エー:ニンはもうお店に来ないわよ。
俺 :え?辞めたのかい?
エー:そう。あなたがインドに行った直後に辞めたわよ。
俺 :ぇえっ!

ニンは俺が学生時代に一方的に熱を上げた女友達に容姿がうりふたつだったこともあって、単なるゴーゴー嬢を越えた感情が芽生え始めていただけに辞められてしまった事はショックだった。
10日連続で一緒に飲みまくっていたんだから、途中で“もうすぐ辞める”ってひと言ぐらいはあってもいいじゃないか・・・。

ショックは更に続いた。
エー:マイペンラ~イ。今度はこの子にすればいいわ!ニンの妹よ。
俺 :はあ?
エー:本当の妹よ。カワイイでしょう?
驚きのあまり、ニンの妹とかいう女の子を凝視してしまったが、全然ニンに似ていないし、まったくもって悪い冗談にしか聞こえない!

エー:ペイバーするでしょう?
俺 :ペイバーするって、彼女はニンの妹なんだろう?
エー:マイペンラ~イ!もうニンは結婚するんだから関係ないわよ。
俺 :結婚するだと!
エー:来月シンガポール人と結婚するそうよ。

ニンが来月結婚するって、それじゃあ俺は彼女のゴーゴー嬢時代の最後のカモだったってわけか。
そしてお姉ちゃんがいなくなったから、次は妹ちゃんでいいでしょって・・・。

更にもう一発、不測の事態がすぐ身近で起きていた。
ニンの突然の結婚情報に頭が混乱している俺を、エーは「ニンはあなたを気に入っていた」とか、「10日もペイバーされてニンは幸せそうだった」とかなんとか慰めてくれたが、いつの間にかニンの妹とかいう女の子が私服姿に着替えて来て、勝手に連れ出しスタンバイ態勢に入っているのだ!
私はニンの妹なんだから、アンタが私をペイバーするのは当たり前って態度なのだ。
その彼女の図々しさ(?)、周囲の無神経な後押しが俺にはまったく理解することが出来なかった。

【注釈】
ゴーゴー嬢と10日も連続してゴーゴーバーを何軒もハシゴするなんて、今ではありえない話ですね!
「ショート・タイムを効率良く回転させる」ことに熱心な現代のゴーゴー嬢ならば、「そんなことをやっていてもお酒で腹が膨れるだけで、懐はちっとも潤わない」とドライに考えているでしょう。
まあゴーゴー嬢もまだ若い女の子なので、相手が若くてイケメンならばたまにはそんな相手の仕方もするでしょうが(笑)

ふと見ると彼女の持っているハンドバッグはニンのお古だった。
アイラインはニンと同じ濃いブルーだし、お化粧品も彼女はニンから譲り受けたのだろう。
二人は本当の血を分けた姉妹なのかもしれないが、だからってなんで姉から横滑り的に妹も連れ出さなきゃならんのだ!
俺はてめーんちのスポンサーじゃないぞ!

しかしこれもまた俺の知らなかったゴーゴーバーのひとつの現実なんだろうか。
俺がもし妹を買ったとしても、ニンは自分が辞めた後ならば気にも止めないに違いない。
いや、そんな事を考えること自体がここではナンセンスなのだ。
モラルがあるようでないような、人情がないようであるような、その曖昧さ加減がゴーゴーバーをことさら蠱惑的に輝かせているのだ。
お客と嬢との感情交換の線引きが明白な日本の風俗店では味わえない、ゴーゴーバーならではの魅力なんだろうが。

【注釈】
筆者の場合は、お姉さんと妹さんが時期をずらして働いていたようなので問題はありませんが、姉妹が同時期に同店で働いていたならば、日によってどちらかを指名するのは止めた方がいいでしょう。
私の友人がそれをやっているうちに、店内で姉妹の大喧嘩が始まってしまい、私はその現場に出くわしたことがあります。
ママさんやウイエトレスが間に入って喧嘩は収まったものの、結局姉妹を交互に指名していた知人が悪者扱いにされ、知人はその夜からしばらく出入り禁止になりました(笑)

【11月21日(土)】失意の娼婦カフェで就職内定!?

オキニの嬢に辞められた上に妹を押し付けられそうになり、感情の持って行き場がないどころか、どういう感情でいることが相応しいのかさえ分からなくなった。
とりあえず妹ちゃんにチップ100バーツを渡し、「俺はニンじゃなきゃダメなんだ」と捨てセリフを残して「レインボー1」を後にする。
こんな時はどうしたらいいのか、何処へ行けばいいのか。

過日就職先を斡旋してくれた日本語情報紙「W」の編集長W氏に案内されたことのあるグレースホテルへ冷やかしに行くことにする。
ここはアラブ系の旅行者ご用達の大型ホテルであり、地下には宿泊客を待ち受ける娼婦たちがたむろするカフェがある。
物好きの日本人もやってくるようで、日本語堪能なオバサンやおデブできさくなヤングレディも数人いる。
ナナ・プラザよりもグレース・ホテルの女たちと話している方が気が紛れるだろう。

カフェに入ると、ヨーコだったかキョーコだったか、日本名を名乗る痩せこけただみ声のオバサンが目ざとく俺を見つけて駆け寄ってきた。
今宵の「レインボー1」での出来事を話すと、彼女はケラケラ笑い出しては早口でまくしたてた。
オニイサン ワカイネ~。オコル ダメ、ガッカリスル ダメ。オンナノコ ナナガール ダヨ。ココワ タイ ダヨ。マジメ カンガエル イミ ナイヨ。
キブンテンカン キブンテンカン! ワタシ アナタ タスケル。サービス スルヨ。2カイ OK! ニジカン 1000バーツ スペシャルサービス スルヨ!

気持ちは有難いが、あなたが相手じゃ気分転換どころか益々意気消沈しちゃうよ!とは言えずに笑って誤魔化していると彼女は更にヒソヒソ話を始めた。
オニイサン ダイジョウブ。キブンテンカン マリファナ ホシイデスカ? ワタシ モッテル カイマスカ? 500バーツ。

相変わらずのナイト・レディたちのノリであり、四ヶ月前に初めてタイに来た頃の俺なら逆上していたかもしれない。
でも、俺の肩に手をかけながら諭すように話しかけてくるヨーコ/キョーコの態度に、今宵俺は少なからずナイト・レディたちから慰められ、気を使ってもらっていたことに気が付いた。
俺の常識と彼女たちの常識との微妙なズレに、どうやら必要以上に困惑してしまっていたのだ。
彼女たちと楽しいお付き合い出来るかどうかは、お互いの常識のズレを俺が許せるか許せないか、それだけなのかもしれない。
とりあえず今宵の不可解で少々不愉快な一件は、理屈の上(屁理屈の上?)では納得がいった。

「やあ、来てたのか!」
聞き慣れた声がしたので振り返るとW氏だった。
W氏はここの超常連なのだ。
「丁度良かったよ。そろそろインドから帰ってきた頃じゃないかって、明日にでも宿に連絡しようと思っていたんだ」
W氏は突然自分の近況報告を立て板に水状態で話し始めて、これまた予想もしなかった事態を持ち込んできた。

「今月末で日本人スタッフが一人辞めることになってね。ワークパーミットの枠がひとつ空くからすぐに君を誘おうと思ってたんだよ!B紙の面接じゃあ嫌な目に遭ったらしいけど、俺んトコではそんな事は絶対にないからさ。もうオーナーには話を通してあるから、さっそく明日にでも事務所に来てくれよ!いやあ~俺は何というタイミングのいい男なんだ」

オキニ嬢の妹、老いた娼婦、マリファナ、そして今宵の神様から最後に差し出されたのは職場か!
W氏は「メデタイメデタイ」を連発しながら、ビールを2本オーダーして下さって乾杯を促された。
ひっちゃかめっちゃかの今宵の展開に、得体の知れない感情の高ぶりがせりあがって来た。
W氏は自分自身をタイミングのいい男と言って一人で大喜びしているが、俺の方はワケワカンナイ夜を過ごしている男だな。
日本では到底考えられないこの状況と展開、これがタイでありバンコクであり、これからもこんな事が続くのかと思うと目が眩みそうだが、どうやらこの流れに付いていくしかなさそうだ。

つづく

【注釈】
グレース・ホテルは現在も営業しているスクンビット・ソイ3の大型ホテル。
客層は今もアラブ系旅行者ばかりですが、地下のカフェは2005年前後に閉店しており、現在は1階フロント奥のロビー兼カフェが“夜の交渉場”と化しています。
文中のヨーコ(キョーコ?)さんは、地下カフェ閉店間際に性病かヤク中かで亡くなったと聞いたことがあります。
また現在ではタイ人娼婦が減った分、ホテル敷地への入口付近に黒いチャドルを巻いたアラブ人系(?)や中央アジア系娼婦が堂々と客を引いています。
彼女たちは口々に「チキチキ、チキチキ」(アラブ語で“セックス”の意味とか)と言いながら誘ってきますが、ちなみにもうひとつの彼女たちの口癖は「ノープロブレム、OKレッツゴー!」。
矢継ぎ早にお客に条件を提示して、余計な交渉時間を省いて「さあイキマショウ!」なのでアリマス!
【注釈】
「B紙の面接で嫌な目」に関しては、第6回内「コイツを採るなら、俺は辞める!」参照。

【プロフィール】
志賀健(シガケン)
1972年神奈川県生まれ。
元高校球児の左腕投手で、プロを志望するも断念。
ロックンローラーに転身するも、またも挫折してアセアン放浪の旅へ。
以後フリーライターで食い繋ぎ、現在アセアン沈没中の生粋の不届き者。
ミレニアム前後から、日本の音楽サイト、アセアンの日本語情報紙等へ投稿経歴あり。

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